2018年 02月 28日
Diploma×KYOTO'18に参加して考えていること |
先週末はDiploma×KYOTO'18に参加した。
176案の中から最優秀を決める審査員としてである。会期は三日間あり、一日目が建築家の審査員、二日目は建築家以外の視点を盛り込んだ審査員、三日目が過去のDiplomaの参加者が審査員という座組で、私は一日目に招待され、千葉学審査員長はじめ、豊田啓介氏、周防貴之氏と共に参加した。審査基準を多角的に用意するという試みである。
まず午前中の二時間で176案から10案を選ばなくてはならない。一案平均30-40秒とのことで、私はとにかく全体を見ようということで会場を5周し、176→50→20→15→10と提案を絞っていった。
私が推した10案は、ID 012、029、058、059、063、070、101、105、131、150の10案
次点にID 015、039、053、076、096、103、137、169、170、175、176の11案
昼前の20分で、審査員が集合し、各自の票を合算、そこで8作品を選出した。2票以上獲得した作品が11案ということで、そこから3案を落とす作業だった。カテゴリーとして市街地系、スラム系、建築物勝負系、空間系、などいくつか相対化の軸を設け、重複したカテゴリーの中で一つを落とすというような、議論の展開を考慮した判断が共有された。
そしてそこから公開で審査会が始まり、8作品毎にプレゼンと質疑を繰り返し、中間投票で5案、最終投票で1-3位を決めるという審査過程である。
とにかくスピーディに決めることが求められたということが率直な感想だ。
結果的に一等は北千住駅前に低密度なインキュベーション施設を提案したID105江口案、二等は瀬戸内の島の石切場を博物館としたID169西辻案、三等は奈良のブドウ畑にブドウ園付き集合住宅を設計したID029越智案となった。
一等は北千住の創造的な地域住民の空間への表れを転写したアプローチと低密度な空間性の可能性の提示、二等はもともとそこにある石を動かすだけで石のための空間を提案する構想力と土着性
三等は建築とプログラムの新しい掛け合わせと空間への転換
といったトピックで評価された。
スラム系、まちづくり系、墓地系が多い、というようなカテゴリーの話も印象としては確かにあるが、皆どこか、自分のカテゴリーを意識し過ぎて、ある種の割り切りをしてしまっているように、今思えば感じる。しかし、そうしたカテゴリーがなければ、議論がスピーディに展開できないという要素ももちろんあるだろうから、一概に否定はできまい。何より自分もそのカテゴリーの中で議論を終始してしまったように反省している。
その中で大きな議題になったのが、設計者の意図をどこまで排除できるかというものだ。ルドルフスキーによる"建築家なしの建築"、青木淳による"原っぱ"を持ち出すまでもなくモダニズム以降の建築家がずっと抱えてきた問いである。しかし、その問いすらも一つのテーマとして割り切られたような印象を持った。
その割り切り(自分のカテゴリー以外の可能性を意識的に捨てること)自体がどこか寂しさを感じさせ、会場全体の運営側の熱量や緊張感とのギャップがむしろ激しく目立っていた。
Diploma×KYOTOの大きな特徴は、出展者がそのまま運営スタッフを兼ねるということだ。從ってスタッフは176名である。パッと見ただけで例えばゲスト審査員には2名スタッフが配置されていたし、審査員の後ろでは30名弱のスタッフが当日の議論をすぐさま文字起こししていた。統制された(ように見える)その光景は異様だった。
だから自分は最後の講評で、「作品一つ一つよりも運営側の熱量が印象深く感じられた」と話した。
二次会以降、話した学生のほぼすべてに、どのようなモチベーションで参加しているのか、あの運営にかけるエネルギーはどこから来るのかと聞いた。
・出展することで外部の評価が得られる
・違う教育環境の価値に触れられる
・出展するためには運営に入らないといけないので仕方なく参加している
・先輩から引き継がなければいけない部分もある
というような答えが返ってきた。
僕はシンプルに疑問だった。なぜそこまでできるのか。176案あって、三日間で講評されるのは30案である。残りの146人は、悔しい思いをしながら運営に回るのだ。そのような事実を考慮しても尚、学生の皆は緊張感を持って運営していた。凄い労力だ。
もちろん卒業設計に建築人生の全部を賭けて取り組むことは代え難いし、とても良いことだと思う。
仮にゴールに雑誌に載る建築家しか描けないとしても、良いことだ。しかし、かけがえのない学生時代の最後の時間を、半ば強制的に参加して運営に回ることに費やしていいものか。僕には甚だ疑問だ。建築家の意見を聞きたければメールしたり、SNSで聞けばいいし、事務所に突撃したって多くの建築家は必ず答えてくれると思う。卒業設計展に参加することの価値はどこにあるのか、参加者一人一人が本気で考えるべきだと思う。仮に建築家になりたいとして、建築家になる前に消費されて削られるよと思う。しかも、建築家にならなくたって別にいいわけだし、建築家になるかどうかは自分で決められる部分もあるし、自分で決められない部分もある。自分のかけがえのない時間をどこに費やすのか、相対化した上で決めるのであればもちろん参加した方が良い。
少なくともDiploma KYOTO一つとっても、そこには幾つもの疑うべき論点があると僕には映った。卒業設計展に参加した方がいいのか(参加せずに海外旅行に行くこともできる)、参加するとして枠組みはスポンサーを前提にした枠組みでいいのか(スポンサーをつけないなら、膨大な予算を扱うための過去のノウハウに頼らなくて良い)、出展者は運営スタッフを兼ねるべきなのか(兼ねなくてもいいのであれば170名を超えるすべてのスタッフを配置するコストが減る)、書籍は出版されるべきなのか(出版しないとしたら膨大な文字起こしは必要なくなる)、諸先輩から何を引き継ぎ何を引き継がないべきか、果たして続けるべきなのか。代表の石井くん始め、幹部の京都大学の三人には伝えた。これだけ大きなイベントだ。代表にも代表の考えやジレンマがあって然るべきだし、しっかりと意見をぶつけてくれた。代表としての彼を僕は信頼する。
一つ一つ丁寧に疑ってそれでも選ぶ(価値に値する)ということが、誠実な判断というものだ。設計においても設計以外においても、僕はとても大切なことだと思う。
参加した一人でも多くの学生が、自分の経験、自分の判断を、肯定することを願っている。事実、投入された熱量は素晴らしいものだった。
建築は瞬時に割り切れるような概念ではない。
長く続き、そして大きい。
176案の中から最優秀を決める審査員としてである。会期は三日間あり、一日目が建築家の審査員、二日目は建築家以外の視点を盛り込んだ審査員、三日目が過去のDiplomaの参加者が審査員という座組で、私は一日目に招待され、千葉学審査員長はじめ、豊田啓介氏、周防貴之氏と共に参加した。審査基準を多角的に用意するという試みである。
まず午前中の二時間で176案から10案を選ばなくてはならない。一案平均30-40秒とのことで、私はとにかく全体を見ようということで会場を5周し、176→50→20→15→10と提案を絞っていった。
私が推した10案は、ID 012、029、058、059、063、070、101、105、131、150の10案
次点にID 015、039、053、076、096、103、137、169、170、175、176の11案
昼前の20分で、審査員が集合し、各自の票を合算、そこで8作品を選出した。2票以上獲得した作品が11案ということで、そこから3案を落とす作業だった。カテゴリーとして市街地系、スラム系、建築物勝負系、空間系、などいくつか相対化の軸を設け、重複したカテゴリーの中で一つを落とすというような、議論の展開を考慮した判断が共有された。
そしてそこから公開で審査会が始まり、8作品毎にプレゼンと質疑を繰り返し、中間投票で5案、最終投票で1-3位を決めるという審査過程である。
とにかくスピーディに決めることが求められたということが率直な感想だ。
結果的に一等は北千住駅前に低密度なインキュベーション施設を提案したID105江口案、二等は瀬戸内の島の石切場を博物館としたID169西辻案、三等は奈良のブドウ畑にブドウ園付き集合住宅を設計したID029越智案となった。
一等は北千住の創造的な地域住民の空間への表れを転写したアプローチと低密度な空間性の可能性の提示、二等はもともとそこにある石を動かすだけで石のための空間を提案する構想力と土着性
三等は建築とプログラムの新しい掛け合わせと空間への転換
といったトピックで評価された。
スラム系、まちづくり系、墓地系が多い、というようなカテゴリーの話も印象としては確かにあるが、皆どこか、自分のカテゴリーを意識し過ぎて、ある種の割り切りをしてしまっているように、今思えば感じる。しかし、そうしたカテゴリーがなければ、議論がスピーディに展開できないという要素ももちろんあるだろうから、一概に否定はできまい。何より自分もそのカテゴリーの中で議論を終始してしまったように反省している。
その中で大きな議題になったのが、設計者の意図をどこまで排除できるかというものだ。ルドルフスキーによる"建築家なしの建築"、青木淳による"原っぱ"を持ち出すまでもなくモダニズム以降の建築家がずっと抱えてきた問いである。しかし、その問いすらも一つのテーマとして割り切られたような印象を持った。
その割り切り(自分のカテゴリー以外の可能性を意識的に捨てること)自体がどこか寂しさを感じさせ、会場全体の運営側の熱量や緊張感とのギャップがむしろ激しく目立っていた。
Diploma×KYOTOの大きな特徴は、出展者がそのまま運営スタッフを兼ねるということだ。從ってスタッフは176名である。パッと見ただけで例えばゲスト審査員には2名スタッフが配置されていたし、審査員の後ろでは30名弱のスタッフが当日の議論をすぐさま文字起こししていた。統制された(ように見える)その光景は異様だった。
だから自分は最後の講評で、「作品一つ一つよりも運営側の熱量が印象深く感じられた」と話した。
二次会以降、話した学生のほぼすべてに、どのようなモチベーションで参加しているのか、あの運営にかけるエネルギーはどこから来るのかと聞いた。
・出展することで外部の評価が得られる
・違う教育環境の価値に触れられる
・出展するためには運営に入らないといけないので仕方なく参加している
・先輩から引き継がなければいけない部分もある
というような答えが返ってきた。
僕はシンプルに疑問だった。なぜそこまでできるのか。176案あって、三日間で講評されるのは30案である。残りの146人は、悔しい思いをしながら運営に回るのだ。そのような事実を考慮しても尚、学生の皆は緊張感を持って運営していた。凄い労力だ。
もちろん卒業設計に建築人生の全部を賭けて取り組むことは代え難いし、とても良いことだと思う。
仮にゴールに雑誌に載る建築家しか描けないとしても、良いことだ。しかし、かけがえのない学生時代の最後の時間を、半ば強制的に参加して運営に回ることに費やしていいものか。僕には甚だ疑問だ。建築家の意見を聞きたければメールしたり、SNSで聞けばいいし、事務所に突撃したって多くの建築家は必ず答えてくれると思う。卒業設計展に参加することの価値はどこにあるのか、参加者一人一人が本気で考えるべきだと思う。仮に建築家になりたいとして、建築家になる前に消費されて削られるよと思う。しかも、建築家にならなくたって別にいいわけだし、建築家になるかどうかは自分で決められる部分もあるし、自分で決められない部分もある。自分のかけがえのない時間をどこに費やすのか、相対化した上で決めるのであればもちろん参加した方が良い。
少なくともDiploma KYOTO一つとっても、そこには幾つもの疑うべき論点があると僕には映った。卒業設計展に参加した方がいいのか(参加せずに海外旅行に行くこともできる)、参加するとして枠組みはスポンサーを前提にした枠組みでいいのか(スポンサーをつけないなら、膨大な予算を扱うための過去のノウハウに頼らなくて良い)、出展者は運営スタッフを兼ねるべきなのか(兼ねなくてもいいのであれば170名を超えるすべてのスタッフを配置するコストが減る)、書籍は出版されるべきなのか(出版しないとしたら膨大な文字起こしは必要なくなる)、諸先輩から何を引き継ぎ何を引き継がないべきか、果たして続けるべきなのか。代表の石井くん始め、幹部の京都大学の三人には伝えた。これだけ大きなイベントだ。代表にも代表の考えやジレンマがあって然るべきだし、しっかりと意見をぶつけてくれた。代表としての彼を僕は信頼する。
一つ一つ丁寧に疑ってそれでも選ぶ(価値に値する)ということが、誠実な判断というものだ。設計においても設計以外においても、僕はとても大切なことだと思う。
参加した一人でも多くの学生が、自分の経験、自分の判断を、肯定することを願っている。事実、投入された熱量は素晴らしいものだった。
建築は瞬時に割り切れるような概念ではない。
長く続き、そして大きい。
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by tsujitakuma
| 2018-02-28 14:58