2009年 09月 26日
メモ |
<メタボリズムとメタボリストたち>
1959世界デザイン会議がきっかけ。日本の伝統を再認識、木造社会基盤の再評価、菊竹は京都国際会館落選から混乱。細分化されたシステムを再統合するのは不可能であるから、失敗。動的平衡。
<ラスベガス>
建築家の設計した装飾された小屋を作らなくてはならない
近代建築が装飾を分節し、拒否した事で自らアヒルとなった。看板の取り替え可能性と古典建築の不可能性、装飾された小屋という共通点。
・ベンチューリと藤村
B級、普通に見えるが普通ではないもの、アカデミズム批判、BUILDING Kとギルドハウス、窓を窓として扱う、スケール感の消失、ラスベガスとIKEA、モノ、空間だけを評価軸におくのではなく、それが成立した背景、社会的文脈、政治的役割、他者介入を新たに評価軸に加えることにより、建築の社会性を押し広げる。
<GA JAPAN100>
・前川国男
コルビジェよりもペレ
・磯崎プロセスプランニング論
成長するための建築論。可変的なプログラムに対応するため、あらかじめ成長を内包した設計理論。将来の増築を見込んだ仮想の建物を「切断」したものが現在の建物である。
ソフトにおいても図書館という機能を人口、予算、蔵書数といった可変の変数を代入しても決定の根拠にはならず、建築家ができることは曖昧な他者介入によって姿を変えていく仮想の建築を「切断」することしかできないのである。
・縄文的なるもの
伊勢から桂ではなく、縄文か弥生。
形式化した弥生文化の継承は無意味。もともとそこにあるものとしての民家などを参照する縄文的なるものを継承していこうとする思想、代々木までの丹下1965
<坂倉準三展>
水のような建築家
コルビジェよりもコルビジェらしい鎌倉近美とパリ万博日本館1937
商業建築家とカテゴライズされジャーナリズムから敬遠←インプレサリオ岸田出手刀の先導により、前川が推される。アメリカはミース日本はコルビジェ。アメリカはミースにはなかった美学を日本のコル+日本思想モダニズムから輸入。
by tsujitakuma
| 2009-09-26 22:25
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