2011年 08月 28日
走り書き |
抽象化ときくと聞こえがそんなに僕としては良くない。
けれども、抽象化を経た創作はきっと真実に近い強度を持っているはずである。
SANAAや石上の抽象の矛先は、抽象化された空間をもう一度抽象へ向かわせるものである。
そのルートはもはやパーフェクトに近い。
だから変化を望むなら、オルタナティブを開拓しなければならない。
抽象化の矛先には、きっとまちづくりと大工がいるのだと思う。
建築家としては、どこを抽象するのか、其の一点のみ問われていて、それが空間ということではもはやない。
けれども、抽象化を経た創作はきっと真実に近い強度を持っているはずである。
SANAAや石上の抽象の矛先は、抽象化された空間をもう一度抽象へ向かわせるものである。
そのルートはもはやパーフェクトに近い。
だから変化を望むなら、オルタナティブを開拓しなければならない。
抽象化の矛先には、きっとまちづくりと大工がいるのだと思う。
建築家としては、どこを抽象するのか、其の一点のみ問われていて、それが空間ということではもはやない。
by tsujitakuma
| 2011-08-28 22:32
| essay