2009年 09月 26日
日本の難点 |
非常にわかりやすく、現代の諸事情を説明してくれています。
<マスメディアの変化>
物理的な場の喪失+テレビの個室化→共通意識の消滅←インターネットによるSNS
→専門化したクオリティ勝負
<コミュニケーション>
コミュニケーションのフラット化=本気で聞く、話す機会の消滅(お前が死んだら悲しい、嘘付けの関係)
尊厳が脆弱で身の回りにいる少数の承認だけでは不安
感染の重要性、感染可能性の底上げ、親以外の他者の重要性、死の実感、すごい他者と出会わせる事が教育である。勉強は後からでもいい。
<再帰的近代>
するも選択、せざるも選択→システム相対化可能社会→個人化=not個人主義化
<システム>
宗教における神も政治における多数決もオイディプス的不合理をパンピーに受け入れさせるための装置。
「構築、あるいは人のなす区別は、必ず間違っているのに回避出来ない。まさに『不可能なのに不可避』。だから区別をなしつつ、区別を信じずに、前に進め!それが脱構築の概念です。」
<アメリカ>
オバマの身体的な多様性の内包←黒人、白人、所得、格差関係なく、誰から見ても共感可能。
ブッシュの失政のあとだからこその救世主。愛される(相互依存的な)アメリカへ。
大統領制は分裂、統合のシュミレーション。コミュニティではなく、アソシエーション(目的を共有した集団)だから。
真の三権分立国。ちなみに日本は未熟な国民(天皇→官僚)>国会>内閣>大臣>官僚という立法>行政、司法という二権分立国家である。
<日本>
・重武装、対米中立へ
沖縄のアメリカ的重要性化と日本的非重要性化による交渉材料化。
証券化に代表される金融テクノロジーも共同体的自己決定の範疇に置かれるべき。
・後期高齢者制度=存続させるべき。高齢化により、年金制度は破綻しているため。所得の再分配の厳密化へ。
・裁判員制度=反対
片手間程度の国民の司法への介入は司法の専門絶対性を無視している。司法の正統性だけは国民の民主制から切り離されている。法律も奪人称化機能を経ている。
「社会には、移ろいやすい庶民感覚や生活感覚を当てにしてはいけない領域、状況に依存する感情的反応から中立的な長い歴史の蓄積を参照出来る専門家を当てにすべき領域が必ずあります。」
・農業政策
関税撤廃自由競争化し、食糧自給率を上げる。農業保全→国土保全→社会保全→社会的(価値)コミットメント保全→内需経済保全(を実現するエリート保全)→農業保全
<分かっているけど、仕方がないを脱却するために>
・道徳からシステムへ
社会的貢献をすれば得するシステムを構築すること
・合理よりも不合理
理解を超える事による感染(ゲバラ的不合理性に期待する)
<楽観視する理由>
・食のブーム
・ノスタルジーブーム
・環境ブーム
『外部性を内部化[自分以外の誰か(環境や労働環境)への影響を比較可能(価格化)にすること]した上で、「消費者を新しい社会運動」的に動員し、「良いことをしないと儲らない市場環境」という「インセンティブ・メカニズム」を通じて企業活動を操縦し、「社会保全」を図ること。』
「アジア諸国を感情的に包摂し、憲法改正による重武装化を成し遂げ、米国の負い目から自由になって、軍事・資源・食糧・技術・文化の包括的な安全保障戦略を、日本が自立して考えられるようになること。それなくして、実は社会的包摂性の回復や<生活世界>の回復はあり得ません。」
<自分に引き付けて考えてみる>
ポストモダン社会を生きる我々は価値観を相対的に判断し、選択しなければいけない時代に生きている。
個人の情報リテラシーによって、逆説的に専門性こそが重要になる時代に突入したといえよう。
そうであるなら、やはり、専門性が積み重なった客観的知識をやはり身につけなければならない。
その上でだ、いろいろ考えられるようになるのは。
でもまぁ、システムの構築に興味が非常にある。あと、地方。
わかっているけど、しかたないという仕組みは非常に共感できる。
特に、就職活動を経験した友人や、社会の枠組みにまだ入っていない、宙ぶらりんな友人を見ると、なぜこの国は楽しめないのかと思う。「わかっているけど、収入がほしいから、仕方がない」という言葉に象徴される。
このあきらめ感はたぶん日本で育てば全員に刷り込まれている感情だと思う。
by tsujitakuma
| 2009-09-26 22:08
| book