建築夜学校第一夜レポート |
設計プロセスから地域のアイデンティティを考える
と題して、行われた今年の建築夜学校2009。藤村龍至氏が今年もモデレータを務め、同じくモデレータに濱野智史、パネリストに小嶋一浩、中山英之、山梨知彦、コメンテータに難波和彦、江渡浩一郎を迎えて行われた。幅広い世代がまんべんなく配され、建築界以外からもゲストが参加して、より多角的且つ明確な方向性を持って議論は進んだ。無駄のない時間であった。
テーマとしては、情報化によって郊外化を乗り越えようとするもので、90年代に近視眼的に行われた議論を相対化することで新しい両者の関係性を見つけられるのではないかという藤村さんの言葉からスタート。
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まず、中山さんが「2004」についてプレゼン。
ゴールイメージを設定しないプロセス担当らしく、プロセスを線形的にプレゼン。
「敷地の形がよくわからない敷地、隣地関係なし→足下クローバー、侵略的外来種とかわいさ→クローバーを見る子供+住宅についての無知+わからないもの同士のコミュ二ケーションがそのままプロセス→生活階は上+近隣2階増えるだろう→テーブルからはしごくらいの距離感で二階→光は上から→とりあえず模型化、位置関係の確認(図面一枚もなし)→決まったものを写生する感覚へ→模型とスケッチの反復→完成」
という具合でスライドが進む。
以下気になった事
・はしごとかコップは関係性の担保のためとりあえず書いている
・全体像は見せない、断片しか見せない
・ドローイングと同じ風景
・話した事は必ず絵に書く
・決まったものを写生する感覚へ
・実際、断片的、建築とものを区別しない
・とりあえず「やってみた」「できたね」
・どう考えるかどうかはよくわかってない
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続いて、小嶋さん。情報ブームの90年代に共同設計体として、民主的プロセスを多く経験した小嶋さんのプレゼンでは決定の方法が焦点となる。
「宮城県迫桜高等学校」
とりあえず形、プログラムから考えるとフラットが良い、寒いとこだが、自然エネで暖房、ストライプ案からグリッド、平べったく作っても大丈夫、行政へ投げる、半分になりますか?、設計者閉め出し、面積半分、再スタート、プレキャストの使用、二層構成、黒の部屋と白い廊下的空間、最後はレイヤーが重なる、要項の任意調整、構造条件での縛り、
中山さんのそれよりもコンカレントに、条件を並列化している印象。もちろんプレゼンの仕方も影響しているであろうが、線形にはしにくいのだろう。もともと。
前提条件の(政治的)大変化によって、大ジャンプが起きている好例。
「スペースブロックハノイ」
日本の国家予算で「高温多湿機構に適応する環境負荷低減型高密度居住モデルの開発」として行われた特殊なプロセスを経ている。
透明な模型、ベーシックスペースブロック、積み木、見やすく透明と不透明で積み木→透明が外部ならポーラス
、道具とプロセス、敷地割りの論理、80m×2.5mの敷地割り、細長い敷地で当てはめる、あまり細いとだめかも、タイムリミット、貫通庭は3つで十分、ありえないくらいスタディ、キャラ設定、外部率、キリのいい50:50
解析へ、風解析、予測不可能だから何度も繰り返す、条件の自動生成、最後は漸近線で時間が決まる、
・無限の時間がかかる手法、
・BIM時間短縮?
・20世紀、大きな→、単純化
・21世紀、小さな→の群れ、=方法があるとだんだん形になるが、どこかで神の手の介入が必要
藤村さんは学生が強靭な忍耐力で入れ替わり設計かつ情報収集したハノイのプロセスをウェブ的と表現していた。システムとしてはそういった成立条件が欲しいのか。このやり方は普通の事務所では無理だと。圧倒的に非効率的だから。ある意味で最も愛があるやり方。透明なブロックを積むと言う手法の発見は今回の具体的な提案の中で最も共感したおもしろポイント。
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最後に日建設計の山梨さん。
ヒューリスティックアプローチを掲げて、具体例として<BIM>を挙げプロジェクトを紹介。BIMで後半の議論が盛り上がったので、あくまで一つの手段に過ぎないということを強調していた。
・パラメータを切り捨てないプロセス
・サイバースペースに建築を先に構築して、設計して解析
・建築設計行為のシュミレーション化
・デジタル情報
という特徴を持つ設計ツールで、
一つ一つの操作に対する人的コストが低く、試行錯誤が何回も可能となる。例えば、3次元作ればパースも解析も図面化も一遍に可能で、つまりそれぞれのアウトプットが連動している。重要なのはストック管理であり、コンピュータも人も使いこなすのは間違いなく難しいから組織ではなく、個人である山梨さんは既に作家性を担保している(F1ドライバーではなく、ラリードライバー(コースを把握せずに目の前の状況に反応していく))との指摘は後半小嶋さんから投げかけられた。
また、情報化によって出来ることとして、
<ビジュアル化>
・やがてできるものを、前倒しで見せる
・見づらいものを見えるようにする ex:斜線制限
・見えないものを見えるようにする ex:CFD、風解析、光、音
を挙げる。
続いて二つのプロジェクト紹介。
木を植えるように建物を都市に据え、ヒートアイランドを抑制する
素焼きのルーバー、水漏れ、打ち水効果、主たる目的はさぼること、模型の方が早ければ模型
<木材会館>
・木材の復権
・木材技術の一般化
・木材市場を踏まえた現実的展開
・機械で加工すれば大工15分のところ15秒で終わる
このようなプロセスの中で一つの指針となっているのは、なるべくパラメータを切り捨てないことだと山梨さんは示し、それが経験と合理の共存につながるという言葉で締めくくった。
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続いて、第二部。
プレゼンではなく、議論形式なので、流れを追って把握したい方はtwitter(ハッシュタグ#yagakkou)でご覧になれば良いかと。
<主な論点>
・人間vsコンピュータではなく双方の新しい関係性を見出すために
・小さな進化をこつこつと+莫大な変数の処理+繰り返すということ(システム論)
・建築家不要論
・perfume、ラジオスター
・自分が決定の中に含まれていく感覚、広場と直接民主制
・BIMの可能性について、決めないためのツールとして見ること、精密なシュミレーションによって現状の否定ツールになりうる。
・ナカタヤスタカとあーちゃん
・集合知と作家性
<コンピュータの特徴>
・小さな進化をこつこつと+莫大な変数の処理+繰り返すということ(システム論)
・集合知の処理能力大
・参加型プロセスへの対応
<人間の特徴>
・大ジャンプの可能性
・変数の任意搾取(によるジャンプ)
<新しい関係性ノ話(建築家不要論を当然意識した上で)>
・perfumeにおけるナカタヤスタカみたいなサンプリング建築家(山梨)
・いやいや、やはりperfumeという前提条件がなければ、サンプリングも無意味なのでは。つまりその前提条件の発見は人間による創造的な発見でしかできない(難波)
・BIMを決めないためのツールとして見た時に、その最終的な決定に入っていく感覚、つまり、自分がシステムそれ自体になるような感覚を大事にしたい(中山)
・人間をアルゴリズム化すること(藤村、江渡、濱野)
・郊外化、情報化に慣れた身体性(ex:wikiに抵抗なく積極参加)を覆すような、あるいは自分が中に入って行く感覚をもとにしたツールの発明が期待される(江渡、濱野)
<教育について>
ツールスキルでしかないBIMを積極的に導入せずとも、日本なりに、建築家の素養を重視すべきであるという議論でわりと一致。その素養とは何か?つまり専門性であるが、
<BIMを使えば自分の家を作れるようになった時の私は私でこれでいいというスタンスにどう答えるか問題且つ、BIMを使って集合知化が進んだときの建築化の役割は何か問題>
・クローバーを見つける視点こそ大事(データの創造的発見)(難波)
・建築は結論を出さなくてもいいことが面白い。広場は直接性民主主義になりうる広場だが、それだけではないということを正確に表す。決めるのではく、対象に対してどれだけ多くの言葉を持ち得るかがテクノロジーが発展すればするほど、重要になる。それを発見するのが、個性ある人間にできることである。(データの創造的解釈)(中山)
・データの再解釈(暗黙知化)する時に作動するのが経験で、経験は直感ではない。勘ではなく、比較的信頼出来る人間の能力で、コンピュータのインプットアウトプットの能力とは違う種類の類いである(難波)
・批判的デジタルアナログ主義(濱野)
それにしても、最後まで無駄のない良質な議論だった。twitterによってウェブ上にいつでもログがあるし、生産的である。
ものすごいまとめると、
アクロバティックな予測不可能ジャンプこそ人間にしかできないことで、
予測可能な動きをこつこつするのには俄然効率的なコンピュータと手を取り合い、
双方の良いとこどりをしよう、つまり、効率よく、創造的な作品を作ろうじゃないか、というのがモデレータの藤村さんの言いたいことで(多分)、今回はそれぞれの関係性の具体例を参照しながら(スケッチ、BIM、学生のアルゴリズム的導入)、新しい関係性の在り方をより繊細な言語化によって示すことができたのではないか。相対化の現状をしっかりと把握し、且つペシミスティックにあきらめるわけでもなく、オプティミスティックに人間最高となるわけでもなく、ここにしか足を置けないという場所に次の一歩を踏み出したと言えるでしょうね。具体的な方向性、建築側からの解答というよりは、今は相対化。それくらい、射程の長いことだと思う。ただ、確実に前進している。
それにしても、参加者のブログを拝見してもtwitterを覗いても皆さん理解力が凄まじいです。且つ、自分の成すべきことも見えている。
とともに20XX展も見てきましたが、あの差はなんだろうと感じます。この藤村側とでも言える枠組みは圧倒的に少数派ですが、少数精鋭と言った感じなのでしょうかね。多分、建築学生の中でこの議論に着いていける人は2割程度でしょう。その中で主体的な意見を持てる人はその内3割くらいでしょう。自分は前者です。
どちらにせよ、もし藤村さんが出てこなかったら、ジャーナリズムは伊東さんの流れしかなかっただろうし、もちろんどっちがいいって問題ではないですが、たった2、3年で学会まで取り込んだ藤村さんの不思議な猪突猛進はやはり気になりますね。なんというか、意識的にKYだけど、優しい感じというか。笑
どこまでいくんでしょう。世界は広がりました。
次は保守正統派ジャーナリズムですかね。
自分にとっても刺激になりました。精進します。