建築夜学校第二夜レポート |
建築夜学校第二夜
「データ、プロセス、ローカリティ」
設計プロセスから地域のアイデンティティを考える
と題して、先週に引き続き行われた建築夜学校第二夜。
先週の第一夜では「データ、プロセス、ローカリティ」の「データとプロセス」の関係を探ったのに対し、今週は「プロセスとローカリティ」に焦点を当て、プロセスを媒介にして、データ(情報化)とローカリティ(郊外化)を結びつけるという流れである。
パネラーには五十嵐淳(北海道)、家成俊勝(大阪)、井手健一郎(福岡)、コメンテータには古谷誠章、鈴木謙介、モデレータは引き続き、藤村龍至、濱野智史が務めた。
まずは濱野氏から先週のおさらいと今回へのつなぎの暗示から。
前回得られた可能性としてsim city →bim cityと文字り、建築×情報の未来系は開かれたBIM、オープンソース、オープンプロセスなものになるのではないか、そして建築家の役割はデータを束ねるファシリテータ的存在となるのではというまとめっぷり。
さて、そして、ローカリティとは無数にあるデータ(前提条件)の範囲を枠づけるものであり、設計プロセスが図だとしたら、ローカリティは地であるという解釈。
藤村氏は合意形成のプロセスが重要であり、場の生成にどうコミットするかが重要だと付け足した。
ここから方法論プレゼ3連発
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口火を切るのは五十嵐淳さん。
敷地環境(国)の違う2つのプロジェクト、<ORDOS100>と<HOUSE OF EDEN>のプロセスをほぼ並置させて、プロセスの時間軸を2つが共有する形でプレゼンが進められた。
まず、敷地の前提条件の説明から。
<ORDOS100>
・内モンゴルの自治区オルドス
・砂漠、寒暖気温差70度、ノールール
・施工精度、材料についても周辺工場とか見学し抑えておく
・形重視世界の建築が100戸並ぶというコンテクスト
<HOUSE OF EDEN>
・北海道
・エコがテーマ
・過去の事例や周辺の郷土歴史を参照
・縁側、風除湿
・自作にもバッファゾーンがあることを認識
続いて形態スタディ。
<ORDOS100>
6面バッファで断熱、
材料、施工法を同時に考える
⇅思考連続
<HOUSE OF EDEN>
諸室をバッファで包む、
積雪条件から屋根方流れ
次、材料
<ORDOS100>
防水、劣化しない材料→ガラス
コンクリート使用可能
<HOUSE OF EDEN>
北海道→木造
ラストは設備というか環境制御シュミレーション。
<ORDOS100>
断熱、
天井で解決、
熱くなったら冷やす、
完全空調、
室外機を隣地に、
床暖房
<HOUSE OF EDEN>
熱だけ反射するフィルムの採用、
風と配置、風の方位に対して45度降る事に対し、2面で受け、2面で出す、
屋根システムは蔵を参照、ダブルルーフ
壁:大カコウできないので木を細切れでレンガのように使う+メンテ用小さなベランダ
結果的にどちらも屋根から採光、外部には閉ざしている。五十嵐さんは建築設計に関わるすべての諸条件(五十嵐さんの言葉では「状態」)に真摯に答えている「だけ」というスタンスを貫き通すことになる。藤村さんはあえて、場所なき場所にどう答えているかの一例と紹介。
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続いて、dot architectsの家成さん。
その独特のプロセスを設計主体が複数、多種多様、超並列という言葉で説明。
「当初はみんなで形のスタディをやっていたがしっくりこない、複数でやっている意味を求めて並列設計にたどり着いた。」
誰が主体かわからないまま設計がおわるらしい。
まずno.00という住宅作品から。
<敷地>
・敷地阪神大震災以降更地、
・火災の後や廃墟ではなく人々の振る舞いに注目、住民のコミュニティ、ネットワークが印象的だった
・南:神社、北:隣地、東:畑、西:道路
<関わった人数>
図面1→設計3(図面、模型、詳細)→施工3+工務店
プロセスとしては最初にformと呼ばれる案の根幹(このプロジェクトの場合は構造体)を決めてから、並列がスタートする。
この住宅の場合、formは四方に住宅を開ける可能性がある真ん中コアを選択。
そこからガシャガシャが始まる。
ex:陶芸室=見やすいガラス、
玄関=重く、
東畑が続く感じ=ピロティ
二階ものほし場=あんま見られたくないから腰壁、
二階は神社に抜けている=吐き出し窓で手すりは邪魔しないスチール
といった具合に、部分の集積、並列、時間差を含んだ動的変成を獲得している。
続いて、ホヅプロという製材場の中の木造簡易宿泊施設。
<関わった人数>
図面1→設計9→施工20
学生が関わることで設計者の人数を増やす、
木材縛り、
「ぼくなら空けない場所に窓があいていた」と関わった他者性を内包したプロセスを強調。
最後はno.00の続架空プロジェクトLATEST no.00。
<関わった人数>
図面22→設計22→施工25
no.00を並列設計プロセスを駆使し、みんなでひたすら増改築、減築していく思考実験。
その時共有するルールを言語化している。以下、
<模型制作のルール>
周りをみて
全体の調和にとらわれない
他の人に手を入れる
自分のものに固執しない
床壁天井は確保
ホームセンターで買えるもの
最後2項目が非常に重要である。
目指すべき建築=全体としては、部分の単純な総和ではない全体、想定外の全体、関わる人間の差異を内蔵したまま緩やかに結びついた全体性を挙げ、ふんわりしたプレゼンが終了。
藤村さん的には、ルールのドライブがヒット。
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最後は福岡のrhythmdesignの井手さん。
マニフェストとして、
・翻訳者的建築家像
翻訳的につくる=たくさんの余条件を読み解くことで建築をつくる、余条件の中に新しい起伏をつくる、一般の人でも分かりやすい言葉(浴室より眺望、トップライト、テラス、キッチンと主寝室を話す、南側からアプローチ)をデータとして共有していく。
・面検索的設計プロセス
解釈、選択、評価の外部化
プロジェクトに関わる思考を外部化し、保存
ex:ニューキーワード、再出は区別→いったりきたり、面的になる
を掲げる。自分たちの思考に興味ないと言い切り、
何のために建築をつくるのか→自分たちの解釈を他者がどう再解釈するのかその繰り返しだと述べる。
<武雄の週末住宅>
・前提条件
既存地盤から3m上がった視点景色いい
木製のバンガローみたいな、バリ風の再解釈
前提条件
バリ風
週末住宅
自宅が暗いので明るく開放的
風呂好き
変形敷地
北側に大きな建造物
という条件を翻訳し、面的に展開させ、そのめんどくさいプロセスを共有することである種の政治的意思決定を誘発。
プロセスを共有することで他者の意識をのぞき、のぞいてもらう
藤村さんからは
住民参加のコミュニティで議論になること、はたして全員の総意か?という疑問に答える
「本当に総意なのかどうかに真摯なプロセス」←筆者が藤村さんの思考を代弁するかたりで勝手に命名
自身の線形と比較し、
「線形は最適証明ができていないのに対して全部証明するぞプロセス」←筆者が藤村さんの思考を代弁するかたりで勝手に命名
という意見が出た。
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第二部は議論大会。
まずは古谷さんからコメント。
自身のメディアテークコンペを提出した1995年について。
阪神大震災、地下鉄サリン、まだiモードなし
好きかもしれないようなものに出会う可能性に対する建築を目指していた。と。
今回は3人とも現代のツールを駆使、コミュニケーションのツール、レコーディング、記録可能性、瞬時に記録、公開の技術の発展が圧倒的に当時と違っていると主張。
「どれも不思議と共同体が持つ幻想になんとなく(必然的に)たどり着いているのが面白い」
五十嵐さん:結果的にゲルに酷似、フェルトの着せ替え、窓なし
家成さん:緩やかな作業でヨーイドンではない、自然発生のなかの秩序、台北あたりの違法増築、集団活力
井手さん:バリ風→日本人、古来の合意形成、
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続いて社会学者の鈴木さん。
会社でのウェブデザインと設計プロセスが酷似していると指摘。
・チェックインアウト、書き換え表示を表明と履歴が残る
・基本的には線形だから最終的には一つ
という2点において似ているらしい。
3者に対しては、行き来、並列、一直線ではないことが逆に意外であり、
建築に引きつけて、
ソフトウェアは建築に似ていて、なげっぱだが、
ウェブは保守運用が大事でユーザより、動的に書き変わるので、
これからはウェブの動的保守運用性を建築に昇華させることに可能性があるのでは論。この最初の指摘が最後のまとめにつながるから的確きわまりない発言である。
公共建築に着目し、3者クライアントがいる前提、依頼主がはっきりした建物であるが、
公共建築は(latest no.00のように)基本的には建て増し不可能、何故なら空間的制約との戦いがあるからで、その中でそうステークホルダーの利害関係を調整するのか、し得るのかに興味があり、ウィキの書き換え=空間的制約、暫定的に固着する仕組みが出来ていてウェブアプローチとしては参考にしていいのでは。と。まじで的確。
その利害調整をどう行うかの観点に対しても、ウェブが参考になるのでは論
→利害関係の場でこそ保守運用が大事ということ。
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ここから議論が開始。
<<主な論点>>
<いかに合意形成を得るか>
・翻訳というより、探り出す、試行錯誤、竣工する間際まで合意しなければならない、永遠に幻想(古谷)
・施主の心意気を引き出すプロセス(古谷)
→ex:武雄の住宅において浮いているのを設置すれば予算下がるけど、プロセス共有しているから施主が下げたくないと変化した。(井手)
<公共建築に対するアプローチ>
・明確な需要があるわけではないので、住宅も公共も同じ(井手)
・たくさんコミュニケーション→ローカリティへ
公共建築になった時に、どこまで公共性を担保するか、建築の社会性、無限に増えて行く余条件に対してどう対応するかという問いに対し、ニコ動の作家性は可能性がある。(鈴木)
・共同幻想が複数のとき、例えば3つのとき
規模拡大してもウェブは衝突しない、社会性のなさ(ウェブ)⇄物理空間としての制限(建築)(濱野)
・ウェブは1万人コミットできる⇄建築は物理的には限界
に対して、果たしてそうか?
現場100人、ものすごい団結心、社会化された空間、建築的コミュニケーションそのものが持っている強烈な共有の有効性があると信じている(藤村)
・最大公約数はつまらん、一人では出来ないプロセス、政治への逆襲、建築が政治的機能を超える可能性がある(鈴木)
<建った後の保守運用性>
・設計の期間が長くなっている、竣工後も設計が継続している現状
建築は動的、いつも工事中、絶えず設計、プロだけではなく、ユーザも設計してる。そこまで踏まえて設計しているかどうかが問題であり、ユーザ参加なんか当然、あたりまえという機運が欲しい。いっそ設計料を何年契約にするとかね、保守管理、つまり庭師っぽい職能。(古谷)
・そこから先の使われ方次第、切断(建てる事自体)への執着を建築家側もユーザー側も曲げる必要性がある。もちろん、建築家が先に曲げるべきだが。そういう構造を理解できさえすれば、先送りにできる。(古谷)
<ウェブ的プロセスの可能性へ>
・編集(紙からウェブへ来た人)、作家性を殺し、相手の環境に依存する
公共建築のときの作家性か編集か(鈴木)
・ウェブ的になる=古谷さんのがらんどう(藤村)
・伽藍(ウィンドウズ)とバザール(うぃき)、がらんどうはスケルトン(濱野)
・ニコ動は肉付きのスケルトン、ファシリテータこそ重要で、つまり、作る事ではなく使わせる事(切断の先送りを内包したプロセス)が目的(鈴木)
・dotはハードではなくソフトの出来事でそれをやればいいのでは(古谷)
・ローカリティとはネットワークの問題なのでは?どこまで他者を取り込んだ共有を起こす事ができるか、それはハードではなくネットワーク自体の問題である。
利害関係を建築に取り込んだときにプロセスによって新しいコミュニケーションの提示ができるのではないか。それはつまり、そのプロセスによって生まれるネットワークによって事後的な運用も可能になるのではないか(家成)
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郷を煮やした五十嵐さんがそこへ、切り込む。
プロセスは事後でいい、必然的に材料は何とか、必然的な手順を踏めば、良い空間、居心地がいい、っていう言葉はまだ生きているはずである。人種、性別を超えた普遍性に答える建築に答えられれば、そんなに異論はない。プロセスを問題にすることがなんになるのか。という割り切りを提示。ある意味で真っ当であるが、藤村さんは、これがそのまま空間万歳になるのは短絡的すぎると釘を刺す。
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<まとめ>
濱野さんから今回のようなウェブ的設計プロセスを用いれば、逆説的に政治の意思決定にも運用できるくらいの、合意形成有用性があると思うという意見に、
藤村さんが、設計、建築家自身を見直してみよう、設計概念、ソフト、メディア、いろいろあるが、建築っていう思考方法は古いと言われるが、いやいや、強力なコミュニケーション能力があるではないか、最後は建築的思考の可能性自身を見直すことが重要である。援護射撃。
最後は、藤村さんが、
場所性なき場所において(これには質問者から括りすぎなのではという批判があったが)、ウェブ的プロセスに移行すれば、物理的限界を超え、よりを多くのコミュニケートを誘発できる。
建築というパワフル共有メディアの可能性をもう一度議論すべきだ。
というネバーギブアップ宣言で幕を下ろした。
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<感想に代えて>
情報化が膨大な余条件を扱うことを可能にすることによって、もしくはその履歴を共有可能にすることによって、プロセスの共有が生まれ、それはつまり、政治的意思決定に成り代わる可能性を有しており、さらに、建築の切断を遅らせることで(ウェブ的なアプローチを参照することで)、建築の持つ物理的制限を超えた強烈なメディアとしての建築を再構築出来るのではないか。
というのが今回二夜通してあぶり出された「進むべき道」ということになるのだと思う。個人的には古谷さんの庭師、家成さんの設計プロセスを通過した後に発生するネットワークが重要という2点に非常に共感した。
2次会でも濃密な議論を経験し、多くの同士と実感を伴った思考を共有する事が出来た。
当然、2夜ともにすばらしい人選と議論の誘導?に尽力し、このような場を用意して下さった藤村さんには本当に感謝している、どうもありがとうございました、おつかれさまでした。