dot architectsについての考察/極私的暗黙知は社会的普遍性を獲得し得るか |
<一般的な印象論>
dotは家成 俊勝、大東 翼、赤代 武志の3人で構成される、大阪で活動する建築ユニットで、彼らに関して最も知られているのは多分に「超並列的に設計を進める」ということである。一般的な設計においては図面、詳細、模型を完全分業且つ同時並行では進めない線形的な方法(スタディ模型→図面化→模型検討→詳細検討)をとることが多いのだが、彼らは、図面、詳細、模型を同時並行で担当し、且つ、それぞれがそれぞれのプロセスに介入し、相互影響を繰り返しながら完成へと近づけていくというものである。
筆者は、図面、模型、ディテールという振り分け自体は3人の能力とコミュニケーションから自然と決まったものであると推測しているのでさほど重要視はしていない。ここで重要なのは複数が同時に相互影響を与えるというプロセスにある。
彼らは「no.00」という作品で実際に超並列設計プロセスを実践しており、さらに「no.00」の模型を拡張した「latest no.00」という作品
で建築における物理的切断を、より多くの主体と時間を巻き込みながら遅らせるということも模型レベルではあるが実践し既に2009年に行われた各展覧会等で発表済みである。
彼らのプレゼンテーション(筆者は09年に催されたAA95、建築夜学校第二夜を拝見している)では、何人の人が設計に介入したかを最も強調しており、プロジェクトごとフェーズごとで何人が参加したかを示すシートが用意されていた。
その議論は当然建築家藤村龍至氏の政治的意思決定※1に通ずるものがあり、つまり、藤村に引き寄せた説明をするのであれば、たくさんの人が設計に介入する事である政治的盛り上がりを共有し、案がポシャらないことをひとまず目的としている(一応、藤村氏もdotもそれだけではなくて作品の創造性を担保する方法論だということを推しているし筆者はそれに対して肯定的)。
いやもっと言うなら、実現する事を超えて、家成さんは夜学校においてプロセス自体がネットワークとなり、竣工後もその人的ネットワークが維持発展していくことが理想だと表現し、「町の自転車屋さん」という言葉で自らその理想像を表している。
ここまでが、一般的なdotのプロセスにある印象ということになるのであろうか。
複数相互影響と、プロセスの共有。
あ、あともう一つ、言説以外で圧倒的印象を残しているのが、その模型表現である。Latest no.00の色で言うと、銀と茶色。素材で言うとアルミ、木材、ガラス。それらがカオティックに部分の集合として、全体性を超えて立ち現れる風景は圧巻である。
この模型制作上においては同時に複数の人間が相互に影響を与えながら作業を進めており、普通にやったらただの混沌で終わる。
そこへ有効な秩序を与えているのは、3人が提示した人間へのアーキテクチャ(ルール)である。具体的には
・初期段階で決定されるフォーム(no.00においては構造的骨格。真ん中にコアをよせ、四面とも自由なファサードを獲得しつつ2層を確保。プロジェクトごとに変化する案の根幹のようなもの、フォームとカオスの説明に関しては筆者ブログを参照)
・材料の指定(ホームセンターで買えるもの)
・床壁天井があること
が最も影響していると思われる。他にも、「他の人が作った部分をどんどん変更して良い」などの倫理的な箍を外すものはあるがここでは割愛。
材料の指定は、どこでも手に入り、誰でも簡単に扱えることを条件にして決めているということだが(切断の先送りの話で後述)、それがそのまま表現の印象にもつながっている。
さらに床壁天井を部分で担保することにより部分単体としての秩序も保っているのが特徴である。必然的に部分と部分とをつなぐ、渡り廊下的な空間や階段が場当たり的特注品の象徴として目に飛び込んでくるのである。
このようにdotの一般的な印象(プロセスと表現)は語られているはずである。どうだろうか。確かにdotの並列性は現代的だしキャッチーだし有効だ。
<個人的な印象論>
筆者は個人的に飲み会の席で家成氏、大東氏とことごとく隣になり議論したということも手伝って、もう少し踏み込んで、勝手に、彼らの手の内側を想像してみたい。
ひとまず、
筆者が想像するに、彼らの大きな大きな目標は「建築を人のつながりに寄与する道具として再解釈し、建築の社会的地位を草の根的に回復させる」ということに尽きる。(当然だが建築の質を担保することは前提としてある。ベージュ色の公共施設は作らないだろう)
そのための「町の自転車屋さん」宣言であると思っているし、たくさんの人を設計に取り込む事もそこへつながる。また、地域の町工場との連携や専門学校とのワークショップもその一端を担っている。
また夜学校で議論になった「切断の先送り」も彼らが上記達成のために取入れようとしていることでもある気がする。つまり建築が建った後、その維持管理においても様々な人が携わる事でプロセスを引き延ばし、そこまで射程に入れて、共有可能性を高めることを視野に入れている。若手建築家ではon designの西田司氏が最も意識的に取り組み、実践している。そのために材料の指定(ホームセンターで買えるもの)をし、事前プロセスも事後プロセスも、物理的もしくは意味的に開放しようとしている、と思われる。
続いて、設計における手の内側。(これに関してはかなり筆者の推測によるところが大きいですが、筆者も403などで同様な体験をしているので正確に表現している自負はあります。)
超並列設計にしても、複数人によるプロセスの共有、引き延ばしにしても、多分に彼ら3人による徹底した議論がなければ成立していないだろう。
上記<一般的な印象論>に挙げたもろもろの事象はある意味で表層であり、外部化されたメディアであり、伝わりやすいものである。それを受け入れるだけのプラットフォームが彼らの議論に詰まっているのだと筆者は考えている。(具体的にはひとまず、フォームにあたる部分がその役割を担っている)
つまり深層にあるのは暗黙知的な3人のチームワークによるオーバードライブである。共有を掲げる者にとって、外部化できない、共有不可能な部分こそ逆説的に重要なのだ。それをどこまで飛ばせるかによって、どれだけの言葉、人間を許容出来るかが決定される。昔から言われている阿吽の呼吸、職人の技術伝承的な、仲間最高!!的な、アナログ思考がdotの根幹だと断言しよう。
ひとまず、現状では一つの住宅に対し20人程度の参加は担保している。それが公共建築に成った時、1000人くらいが「自分の作品だ」と思えるようなプラットフォームを3人が生み出す事が出来るのか。筆者の個人的な楽しみである。先駆的なフォームの例は山本理顕氏の邑楽町役場の邑楽ユニット※2が挙げられる。アレグザンダーの「パタンランゲージ」※3では抽象的過ぎてそこまで共有されない(思い入れが少ない)上に、川越や真鶴での事例からみると、創造的なアウトプットにまで昇華されていないように思われる。
ここまで書いて、なんだかdot超仲良い論みたいになってしまったので具体的な課題を、大変に恐縮ではあるが自戒の念を込めてあげておきたい。
彼らの課題をメタボリズムの失敗から考えてみたい。大雑把に言えば、dotの方法論はメタボリズムのコア(不変)とカプセル(可変)に分解できる。コアは[深層]の「フォーム」に、カプセルは[表層]の「カオス(複数人参加プロセスとその表現)」にと対応する。
だから、dotが、そういったプロセスの切断を先送りし、より多くの人を設計プロセスに介入させるために物理的に変化する建築を達成しようとするなら(施工に觝触しようとするのであればなおさら)、何故メタボ建築が「動」かなかったかを考えるべきで、既にdotはそこからホームセンターで手に入る材料を使うという方向へ傾倒したと考えられる。それは非常に共感するし刺激的だ。
材料の汎用性は担保している。
メタボリズムの代表格菊竹清訓「か・かた・かたち」※4によると、日本建築の到達点は大工技術が社会の隅々まで広がった江戸にあるようで、つまり、接続部の処理、寸法は体系化されていたし、地域社会に瓦屋、畳屋という社会ストックがあるからこその持続可能性(物理的入れ替え可能性)なのであった。と。
畳屋の再出現や寸法体系の統一を社会的に期待できない今、残る課題はシグチや継手といった接続部の汎用性、冗長性であろう。変化するものにとっては、変化するものと変わらないもの(相対的に)との接続部の処理こそ重要になってくると思うからである。接続部が強固で特別すぎると取り替えるコストが高いし、接続部が脆弱で汎用性が高すぎると、文字通り建築はすぐ崩れる。だから、ホームセンター材料×有効な接続部の発明こそ、彼らのチームワーク(これは既に担保されているはず)に上乗せするべき課題ではないだろうか。
さすれば、dotそれ自体は江戸の畳屋にかわる、概念としての「町の自転車屋さん」に近づき、彼らのプロジェクトは「1000人が自分の作品だと思えるプロジェクト」として設計、竣工、維持管理というすべてのフェーズにおいて実現されるはずだし、その実現を強く期待している。
3人という私的関係を突き詰める事である普遍性を獲得してほしい。
そして何より、彼らの、ゆるい、懐の深い人間性なら、それが可能だと確信している。
<あとがき>
本稿では客観性をなるべく担保するため、今個人的に流行っている「反応」という言葉を避けたが、地に脚をつけて、目の前のことに同時に「反応」していく彼らのプロセスは403も参考にしなくてはならない。
□参考
※1「思想地図vol.3」 「google的建築家像を目指して」藤村龍至
※2「つくりながら考える、使いながらつくる」 山本理顕
※3「パタンランゲージ」 C・アレグザンダー
※4「代謝建築論 か、かた、かたち」 菊竹清訓
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