第一回都市の現象学レポート-Research for Architectual Domain- |

メディアプロジェクト・アンテナが企画する「都市の現象学」第一回目のゲストは、京都を拠点に建築家の職能の拡大を意図した活動を展開しているRAD(Research for Architectual Domain/建築的領域に関するリサーチのための機関)をお招きして、「現象の建築家たち」と題して開催された。
RADには、主催のアンテナともプロジェクトの規模、種類、意図や年齢など共通点も多く、ざっくり言うと建築家のリサーチを行っているという印象を持った。こともあり、今回の全体のテーマでもある「建築家によるリサーチ」を任せるに十二分に値する組織であるということで初回の講演を依頼した。
依頼した内容は、こんな感じである。
「アトリエ・ワン以降、設計のためのリサーチではなく、リサーチそれ自体が都市に介入するだけの強度を特に持ち始めたという印象を持っており、リサーチの現在性へつながる建築家によるリサーチ史の変遷を、RADの活動意図も敷衍しながらレクチャーして頂きたい」
所謂、むちゃぶりというやつである。苦笑
この近代以降の建築史をほぼ相手にして講演してくれという無茶苦茶な依頼をRADの二人は勇ましく快諾してくれた。事前打ち合わせでの意思疎通ぶりはなかなかあるものではない。僕にとってRADはアンテナと比較して相違点よりも共通点が目立つ、稀有な存在として認識されている。
さて、肝心のレクチャーである。
副題は「建築的領域、建築家の職能の定義の仕方の変遷について」。
レクチャーはRADの問題意識から開始された。
「建てるということだけの構造に違和感を感じていた。」
彼らはこの言葉と共にひとまず、建築家の色のは建てることだけなのか、という問いに対して建築家は自分たちの職能を再定義していくべきだという現在的なアプローチを表明する。
リサーチに対する彼らのスタンスも明快に示ししっかりと楔を打ち込むあたり、さすがである。
「リサーチは最近の流行ではない。」と。
ここから、RADによる自覚的歴史編集によってレクチャーは進んでいく。
まず彼らが言及したのは、私たちが知っている建築の歴史はどうしたってビジュアル型であり、分析型のリサーチは特に近代以降のメディアとの相性が(建築写真に比べて)悪く、リサーチの変遷を語ることで近代建築の隠れた歴史を召喚しよう、という前提である。
この前提の元、彼らは二つのカテゴリを設定し、論点を示す。
1.定量的リサーチ
マクロ/統計学的
予測→提案
プロジェクトが前提
2.定性的リサーチ
ミクロ/人類学的
観察→提示
プロジェクトが前提ではなくリサーチ自体独立している
という二つである。
そしてこの二つの流れに具体例を詰め込んでいく。
1.まず定量的リサーチから。日本における戦後の流れとして、丹下健三/URTEC、日本地域開発センター、黒川紀章/社会工学研究所という60s-70sの建築家+シンクタンクによる都市デザインのためのリサーチを取り上げ、オットー・ノイラートや杉浦康平や松田行正+荒俣宏「絶景万物図鑑」も統計学的社会データのビジュアライゼーションの一例として取り上げた。OMA/AMOに代表される建築家+シンクタンクの組織形態は日本で先取りされていたのである。
対して海外では「オランダ派」を中心にファンエーステレンとファンローヒュイゼン(AUP)のデザインとリサーチの融合が1920年代に萌芽があり、そこかOMA、MVRDV を敷衍してマクロリサーチと形態の接続を示した。
ここでのリサーチの役割は量的な問題と建築の妥当性を可視化することである。
2.続いて、定性的リサーチ。
これはもう、定量的リサーチ以外のリサーチと言っても過言ではないくらい多様なチョイスである。
個々は有名なのでざっと取り上げられた名前だけ並記しよう。
・今和次郎「考現学」
・ケビンリンチ「都市のイメージ」
・バーナード・ルドルフスキー「建築家なしの建築」
・原研究室「集落調査」
・C・アレグザンダー「都市はツリーではない」
・R・ベンチューリ「ラスベガス」
・伊藤ていじ、宮脇檀「デザインサーベイ」
・藤森照信、赤瀬川原平「路上観察学」→「超芸術トマソン」
・アトリエ・ワン「メイドイントーキョー、ペットアーキテクチャー」
・吉村靖孝「超合法建築図鑑」
この圧倒される程多様なリサーチプロジェクト群を「定性的」というカテゴリーだけで並列化したこのトピックの最後はステファノボエリの言葉で締めくくった。「リサーチは都市を視覚化することで都市を変えるツールである」。
この挑戦的な編集を筆者があえてさらに挑戦的に編集するのであれば、定性的リサーチは定量的リサーチの限界、つまり人間(建築家)の把握構成能力の限界を、建築家がタッチしていない都市の要素に建築家が目をつけることによって批判を試みる、あるいは建築家による都市構想の限界とその突破への手がかりを提示しようという野心的且つ良心的な建築家たちによる愛情表現とも受け取れよう。
続いて、定量的/定性的の交差点として、空間を取り上げ、現在性へとつながる共通点=現実の解釈を空間的に提示すること炙り出し、それこそが建築的リサーチの特徴であるとした。
極端に言えば、定量的リサーチの歴史は、社会の動きと密接に、そして受動的に関係していると言える。丹下や黒川がシンクタンクを拵えて国土計画にまで踏み込んだのは高度経済成長期だったし、OMA/AMOは世界同時不況下において逆説的にそのプレゼンスを発揮している。
対して、定性的リサーチの歴史は、その目的がプロジェクトのためではなく自立しているため、主体的に、良くも悪くも社会情勢に左右されずにリサーチ史(=近代建築裏史)の不動点として継続的に顔を出していると言えよう。
そのような二つの軸を前提として、RADは新たな潮流として定性的と定量的を同時に満たすような第三の流れを提案した。それぞれ具体例を中心に挙げていこう。
<介入型>
・nelobo「ENTOROPIE」
RADlab.に招聘し展示を行ったnelobo。
人類学的建築の実践:現地に一定期間定住し、時間を共有することでリサーチとプロジェクト一体化している。「コンペはあまりにも建築が建つのが早過ぎる」と現状のプロジェクトのあり方を批判している。
「プロジェクト誘発型」
・熊本アートポリス
・東大大野研シュリンキングニッポン
・ETH Studio Base(1999-2002)
ビジュアライズによって都市を変化させる
<yes,but型>
・MVRDV 「Why Factory」
「what if」もし、こうならこう→「Yes, but」受け流し批判モデルへ
断絶的「Revolution」→連続的「Evolution」
ディスカッションの場を建築にもたらそうというモチベーションでmeta cityから目的が微妙にズレていることがわかる。
以上の具体例によって、現在的なリサーチ状況は、定量的、定性的の弁証法から建築家のリサーチは新たなステージへ進んでいるとの認識を彼らは示し、その上で、今後のキーワードとして<場/トピック><言葉の定義><アウトプット>を挙げ、よりコミュニケーション誘発動型のリサーチへシフトするであろうという見解によって講義を締めくくった。
最後に筆者の個人的な見解を述べてレポートを終えたい。
この浜松に代表される日本の地方都市における建築家によるリサーチ、ということを考えるとやはりRADが最後に示したコミュニケーション誘発動型のリサーチに可能性を感じている。地域の人材とのコミュニケーションとして、建築よりもまちづくりが、プロジェクトよりもリサーチが有効であるという実感があるからである。
ただそこで問題になるのはやはり、「建築家」が携わることの有効性であろう。その点、RADのプレゼンテーションでは「空間」「場」「プラットフォーム」という3次元を想起させる単語によって建築家の有効性を担保していたように思われる。
加えて筆者は、建築家の本質である他者性を最大限評価したい。neloboにおけるような事例がそれである。ある種ノマディックに地域に参画する姿はstudio-Lの山崎亮氏の振る舞いからも感じ取れる。
建築家はもちろん、空間自体を設計し空間の物質的効果によってコミュニティを作るという直接的な職能の可能性を持っている。
同時に、現在一層求められている職能は、既存のコミュニティに他者として参画し、自身がコミュニケーションツールそれ自体として空間体系を与え、他者と時間を共有していくというその全的なプロジェクトの成立過程を捉える「建築家」の能力にあると感じている。(プロジェクトと一体になった)リサーチはその実現のための有効なツールであろう。
そしてその職能は、資本主義の綻びにこそ有効であると確信している。
改めて、今回レクチャラーとして参加してくださったRADのお二人に感謝を申し上げます、どうもありがとうございました。