第三回 都市の現象学レポート-社会、都市、建築(家)- |

第三回目を迎えた浜松での連続レクチャー「都市の現象学」。RADのリサーチ史、田所×亀井のアカデミズムレクチャー、に続き、今回は本レクチャーシリーズ初の建築家、HODCの発起人でもあるアラキササキアーキテクツの佐々木高之氏、FUTURE STUDIOの小川文象氏を迎えた。
個人的に、僕が浜松で活動するきっかけとなった昨年6月の浜松建築会議と時を同じくして、広島でも地方発の良質なイベントが開催された。Hiroshima 2020 Design Charrette (HODC)と呼ばれるそのイベントは、今回のゲスト二人が全く個人的な使命感から発起人となり、そこから日を重ねるごとに巻き込む主体を増やし続けた画期的な試みであった。地方都市のあるべき姿を直接描く、というよりそのムーヴメント自体に僕は共感を覚え、今回のレクチャーへの参加を依頼した。
同郷でもあり、ロンドン留学を同時期に経験している二人であるが、HODCという活動と並行して、佐々木さんはアラキササキアーキテクツの共同主宰として東京で活動し、小川さんはFUTURE STUDIOを立ち上げ広島で活動している建築家だ。共に建築家が社会に対して出来ることに真摯に向き合い、先鋭的な取り組みを発信している。
まずは佐々木さんのレクチャーから。
最初にHODCの活動概要を紹介していただく。
広島市が2020年がオリンピック招致発表したのを機会に、若手の建築家が発表できるチャンスと捉えて建築家の価値を社会に対して訴えかけるイベントができないかというモチベーションのもと二人は立ち上がったという。
其の二人がアドバイザーに木原一郎氏、白井宏昌氏、ディレクターに門脇耕三氏、加藤孝司氏を実行委員会に引き入れたことでこのイベントの「巻き込み力」は飛躍的に上昇したといえよう。浜松建築会議と比較すると時期や規模も似ているが、工法や協賛企業の質は圧倒的だ。
さてHODCの概要である。
ロンドンのキングスクロスシャレット(キングスクロスの再開発に対する反対意見を若手が提案)を参考にシャレット(即日設計ワークショップのようなもの)形式を採用し、広島、東京、神戸から15組の若手建築家と100名あまりの学生を6/6に集め、当日の6時間でオリンピックへの提案(設計+プレゼンテーション+議論)を市民に開放される形で行った。当日に加えて、プレイベント、前夜祭、アフターシンポジウム、広島、東京、名古屋での事後展覧会を行う、時間的にも空間的にも点ではなく面として広がった一連のムーブメントだ。
広島のリサーチ結果を事前に参加者に伝え、推奨敷地も選定した上で当日「あとは設計するだけ」の状態にする土台作りはリサーチの観点からも秀逸である。
その提案の中でアラキササキアーキテクツがてがけたのが、
<Normalized City Hiroshima>である。
後述する佐々木さんたちのスタンスを明確に示すこのプロジェクトは「ノーマライゼーション」をテーマに短期的な開発ではなく、10年間で何が出来るかを考え、大規模開発を避け小さな提案の集積によって広島に正の遺産を残すものである。
広島市の都心部を使ってパラリンピックをオリンピックと同時開催することによって、オリンピックを「非日常の負の遺産生成場」から「日常の正の遺産生成場」に捉え直す試みだ。
このような自らの実感できる足元からプロジェクトを進めたいという佐々木さんの意思は「セルフビルド」をテーマにしたアラキササキアーキテクツの各プロジェクトにも積極的に取り入れられている。
アラキササキアーキテクツでは、工務店に頼んで設計業務もやるが200万程度のサイズの仕事の時はセルフビルドで取り組んでいるとのこと。
・とにかく安くても良質なデザインをするため、
・自分たちで最後までやれる、
・素材を探求できる、
・工務店には出来ないようなディテールも出来る
という理由からセルフビルドの採用理由は説明可能だとしているというが、
根本的なモチベーションは「デザインスタディとしてのセルフビルド」をテーマにあくまでも「良質なデザイン」のためのセルフビルドである。
浜松でも市街地の空室改修にもセルフビルドは有効に機能する。との佐々木氏。
スライドは全体の予算が低いセルフビルドの現場施工写真を中心に進められ、絵画教室の色鮮やかな作業跡が残る作業台天板などの廃材を使って施工したアサバアートカフェやリビングルームのみのリノベーション、初のセルフビルド物件となったパン屋の内装+外構デザインなど、小気味いいプログラムの連続は小さな規模の物件ならではである。
このようなセルフビルドを進めていく中で、施工専門のスタッフや家具製作所との協働といった、理解ある「大工」の確保が重要だと佐々木氏は伝えてくれた。
社会という漠然とした概念に対して、自らに立脚した範囲から実感を持って接続し、且つそれをあくまで良質のデザインのためだと言い切ることと、若い時にしか出来ないという二つの理由によって、「今自分たちができる精一杯のデザイン」とはこれしかないのだ、だからやるしかない。という強いメッセージを佐々木さんは私たちに残してくれた。
さて続いては小川文象氏のプレゼンテーション。
「社会に貢献する建築家像を求めて」というどストレートなタイトルをマニフェストとして表明して、レクチャーが始まった。
小川さんいわく、留学以前は東京志向だったが、海外で考え方が変わった、とのこと。社会に近い処でやりたいということに気づき、地元広島を拠点に活動するという流れにはとても共感を覚えた。
「建築家はすごく夢がある仕事」とはっきりその職能の素晴らしさを認めながら、
同時に実際に社会の中で建築家がどれだけ必要とされているかに疑問があったと本心を打ち明けてくれた。さらに、本質的には必要とされていないのかもしれない、と踏み込んだ発言も。
本来建築の学生は能力が高く、異業種の起業家も建築出身の学生は能力が高いと口を揃える一方で、所謂建築家の事務所に働くと薄給で、こだわればこだわるほど赤字という現状をまずは小川さんが「建築家」として認め、その上で、「我々建築家は社会に必要である、ということを社会に認知させるべきだ」という目的を生きがいにしていると、男気しかない宣言で作品のスライドに移行していく。
広島を中心に社会的な活動、都市デザイン、建築の作品にパートをわけ紹介は勧められた。
[社会的な活動]
佐々木さんからも説明があったHODCと、広島の若手政治家、行政、専門家と共に広島の地域づくりについて議論する場、ひろしま都市デザイン研究会(HUDL)を紹介し、広島で一般市民や建築以外の専門家を巻き込んでムーブメントを起こす圧倒的な求心性と社会性を披露した。
[都市計画、都市ビジョン]
発表、未発表作合わせて6つのプロジェクトを紹介してくれた。そのどれもが実現には至っていないが、「すべて実現を前提に」考えられた質の高い提案群である。

HODCの提案でもある「WATER CITY」では広島の特徴でもある川の多い扇状地形を生かして、積極的に水上交通を都市に引き込んだ広島独自の都市ビジョンを描き、その他、親水公園、橋コンペ、展望台コンペ、広電、電停デザインと多岐にわたる提案を見せてくれた。
この実現を前提にした実現されなかったプロジェクト群を紹介したあと、いきなり地球のスライドが映しだされた。
地球経度緯度を現すのグリッド線が地図スケールが大きくなっていくと正方形グリッドになり、敷地の方位を現す方位磁針計になる。その延長である種衝撃的なプロジェクト「Absolute Arrows」が紹介された。
このプロジェクトは広島市の事業の一貫で市内の街区公園内の公衆トイレのすべてのデザインを統一させるという野心的なもので、コンペの勝利者は市内に1000箇所あるすべての公衆トイレを出来うる限り設計できるというものである。
コンペ時はすべての敷地に適応しなければならないため敷地条件はなし、施工業者も未定のままだったため、案の強度自体が試される大変難しいものであったに違いない。
そんな中、小川さんの勝利案は、死ぬほどわかりやすく開放的だ。
プランが鋭角三角形でその鋭角三角形の屋根平面が北側に傾斜したパビリオンで、その鋭角がすべての敷地で真北を向き、どの敷地でもトイレが北を示すという提案である。「子供たちにとって自然の原理を勉強する場所になればいい。」という素朴なデザインマインドと地球から考えるというスケールを逸脱した普遍的な原理を両立させたこのプロジェクトは現在既に10箇所以上が竣工し、施工が進んでいるものも或るという。
とにかく前述のアンビルドプロジェクトの数を上回る実現が達成されていることは誰にでも分かりやすい形で「社会に貢献している」と言えるだろう。
[住宅]
上記した活動からすると所謂一般的な建築家の振る舞いと言える住宅作品にも、小川さんの社会への意識は溢れ出している。
処女作でもある、広島西区の住宅地に建つ「wrap house」。敷地条件は極一般的だが、そのデザインも形態にわかりやすく反映され強度を保っている。立方体の一つの角をスパッと切り取り、視線を調整したオープンテラスを住宅地に創成することで住宅と社会、地域との関係を顕在化させている。その他、延べ床150坪の住宅のリノベーションも紹介された。
以上、佐々木氏、小川氏ともに「社会」を強烈に意識した活動を共通項としたレクチャーを披露してくれた。僕の印象に残ったのは、佐々木氏は「自分の手」から社会と建築の関係を考えているのに対して、小川氏は「地球」からそれらの関係を捉えているという、極端に振れ幅のある建築家像である。
二人のプレゼンテーションでも、今回のレクチャーでも根底にあるテーマとなっている「建築を通した社会、あるいは社会の中の建築」が、「都市」という言語に置き換えられるとすれば、二人の活動から想起させる建築家像は、まさに「都市」を現象させる建築家であると言えるだろう。
佐々木さん、小川さん、どうもありがとうございました。
