第四回都市の現象学-システムの現象-レポート「建築の多様性と複雑性の捉え方」 |

早くも折り返し地点を過ぎ、第四回を迎えることができた都市の現象学。
今回のゲストは建築家・吉村靖孝氏である。
早稲田大学、MVRDVでの勤務、SUPER-OSの設立を経て吉村靖孝建築設計事務所を設立後、建築設計活動をベースに「超合法建築図鑑」「EX-CONTENAIR」の出版、「Nowhere resort」の展開、「CCハウス」プロジェクトの立ち上げと、その多岐にわたる吉村氏の活動密度に我々は注目すると同時に、その活動の土台とも言えるリサーチ手法を披露していただくための機会として、今回オファーさせて頂いた。
テーマは「システムの現象」。
積極的に建築の生成回路自体にコミットを繰り返し、職能を意識化する試みを意識化しようという意図である。
吉村氏の物腰は大変柔らかく、オランダの写真、、、と見せかけたハウステンボスの写真からプレゼンテーションはスタートした。
「何故この写真がオランダではないと言えるのか」という疑問はこのレクチャーの枕詞として結果的に全体を引き締めることになる。
ハウステンボスは言うまでもなくオランダの都市の「コピー」として観光地化している例だ。しかしその写真にはそこが長崎である圧倒的な証拠がある。背景に山が写りこんでいるのだ。国土の90%以上が干拓地のオランダには山はない。
どこまで真似ようとしてもコピーしきれない部分がある、それが都市であり、建築であり、システムであり、本当の意味でのヴァナキュラーである。筆者にはそのようなメッセージとして受け取られた。何がオリジナルで何がコピーなのか、あるいはシュミラークルしかないのか、そのような未だ我々の前に横たわる建築家の作家性、あるいは建築の価値に関する問題に吉村氏は真正面から向き合っているように感じられる、その意思表示をレクチャーの冒頭に持ってきたと読める。
まず、そのオランダのプロジェクト、MVRDVがマスタープランを担当する都市計画の紹介からレクチャーに入っていく。このMVRDVは都市計画を自らだけで描ききるのではなく、世界中の建築家を招待して、彼らにある種法律のように機能するルールブックを与えることによって最低限の秩序と多様性を産み出そうとしている。
一方そのようなMVRDVの目的が勝手に遂行されている例として東京の鳥瞰写真を紹介した。歴史的な建物が都市に鎮座するヨーロッパの建築家の目指す姿とそもそも歴史が改変され続ける東京の都市の現状をオーバーラップさせることで、世界は相対的に出来ていることという前提の共有を私たちに持ちかけてくれた。
「システムの現象」というこちらが投げかけたテーマに対しての応答にも成り得るかもしれないが、まず吉村氏は自分が設計をしているとき、建築を取り巻く様々なシステムを四つに分類していることを挙げた。市場、建築、法、規範というシカゴ学派の言説を敷衍した四つの分類を自身の多岐にわたる活動に当てはめ、建築の多様性を立証している。さらにこの四つの分類の内、どこに自分の軸足を置くかによって建築家の質も決定される、とも。建築は、どれか一つの要素からだけでは決定しきれないのである。
例えば、ヒューフェリスの「明日の摩天楼」。20世紀初頭のニューヨークに始まった法規による建築の形態規制において、フェリスのそれは法規自体がそのまま外形になってすべての都市の骨格を作っていくという予言であったが、吉村氏はそれに対して実際のニューヨークの写真を見せ、フェリスの予言は必ずしも正しくなかったことを挙げた。建築や都市は、氏が先に挙げた四つの分類にきれいに収まるのではなく、それぞれの要素が複雑にからみ合って成り立っているのだ。
「超合法建築図鑑」
そのような複雑に絡まり合った建築の中で、とりわけ法規が素直に読み取れる、あるいは素直に法規に従った結果、周辺から「浮いて」しまった建築群をコレクションした書籍が「超合法建築図鑑」である。日影規制や開口率規制、斜線制限、避難経路規制、二項道路、など建築法令集に掲載された途端取っつきにくくなるような用語が実際に都市に現象している事例を写真と補助線と愛らしいニックネームでテンポ良く紹介していく。
基本的にこれらは詠み人知らずの建築で、オリジナルもコピーもないものであるが、吉村氏はこのような法規に依存した形態を意識的に採用した建築として篠原一男の「高圧線下の住宅」も一方に挙げている。
「羽田空港高層化計画」
都市から法規を抽出するだけでなく、法規を起点に都市をデザインする可能性もある。
品川ではインターシティという高層ビル群が海からの風を遮っているが、これは実はあまり高くないらしい。なぜかというと近くにある羽田空港のすり鉢状の斜線制限がかかっているからで、もし現状以上に高層化するとしたら、空港を移転するか、法を改正するという選択肢が考えられる。ここで氏が提案しているのはそのどちらでもなく空港自体を持ち上げるというものだ。そうすれば斜線制限自体が高層化され、空港を持ち上げるというだけで東京全体を高密度化できるという。いやはや、法規の影響力とその解釈可能性によって都市へのラディカルでプラクティカルな提案が可能となるという圧倒的にスマートな提案だ。吉村氏の特徴は圧倒的にスマートである、と言って過言ないかもしれない。
「一連のコンテナプロジェクト」
主に運搬のための受け皿として扱われるコンテナが今世界中で余っているらしい。特に中国でのコンテナ自体の制作費がコンテナ自体を運ぶ時の輸送費を下回るため、動かして使い回すよりも新しく作った方が安いという現象が発生してしまうからである。その大量の中古コンテナが余っている、ということと、とても安くコンテナが作れる、という世界の物流経済を動かすコンテナの二つの側面から氏はアプローチをかけ、一連のプロジェクトに取り組んでいる。
当初の東京デザイナーズウィークでのインスタレーションなど、中古コンテナをそのまま使う利用に関しては日本では法規の関係で一時的な利用に限定されてしまうため、恒常的に建築として活用するとなると自然とコンテナをとても安く作るという技術に目を向けたものが多くなる。氏の最近のコンテナを利用したプロジェクトも中古利用ではなく、東南アジアで工場を作り同じ技術と企画でコンテナ空間を製作し輸入するという手法を取っている。
その際、アジアへ向けては日本の施工精度を輸出しなくてはならない。氏は技術の輸出も工場の設立もコンテナ空間の輸入もすべて独自のルートを開拓したというから驚きである。
そのような独自のコンテナメソッドを利用し、コンテナの寸法規格をそのまま活用して、二階建ての一棟を400万で作ってしまったベイサイドマリーナプロジェクト、コンテナを縦に5つ積んだソレイユプロジェクト、ダイワリースと協働したインフラフリーユニットEDV01など多岐にわたるコンテナ変化を垣間見ることができた。
「Nowhere resort」
コンテナでも話題になったが、如何に住宅を圧倒的に安く建てるかは、空間自体の影響とは別に人生設計への影響も大きい。今日本人の生活は、nLDKシステムという空間の均質性(建築家の作るものは多様性を担保しているはず)も相まって、フラット35などの住宅ローンによっても均質化が進んでいる。むしろその住宅ローンによる均質化の方が大きいのではないかというのが氏の意見で、住宅ローンを背負ってしまった時点で個人の人生そのものがほぼ決まってしまい、子供とか老後とかそういう人生に関わる均質化が進んでいると捉えられる。確かに、その均質化は恐ろしい。
Nowhere resortプロジェクトはそのような人生設計に関わる多様性を担保するための建築より一つ上位のレイヤー≒不動産からプロジェクトを進める、枠組み自体を設計する取り組みである。公私のパートナーでもある吉村真代氏が代表を務める不動産会社マイプランニングが土地を抑え、新しい生活像と共に建築を実現している。そうした不動産業、トータルコンサルティング業と抱合せのプロジェクトの一つが「Nowhere resort」である。
これは一週間単位で一軒家を貸す短期賃貸別荘のプロジェクトで、別荘を日常生活に近づけることをテーマにしている。通常の別荘であれば、本住宅との距離が200km(3時間)の処を70km(1時間)くらいに近づけることで、郊外の活性化と都市居住を同時に達成できる新しい生活像のトータルプロポーザルだ。この提案に見合う敷地を首都圏で抑え、事業概要を計画し、そこで初めて建築を登場させ、自ら設計する。「設計という行為の余条件」を自ら作り出すその建築家像は稀有だろう。
簡単に個別にみていくと、「Nowhere but Sajima」では海岸沿という好立地ながらミクロな環境は悪条件であるために売れ残った土地を敢えて抑え、その悪条件を建築家のアイデアによって乗り越えているし、「Nowhere but Hayama」もまた、使われずにいた古い民家という悪条件に対して耐震コアを挿入しリノベーションを図り、既存の空間を最大限生かした設計とし貸し出している。ハードウェアだけでなく、管理体系などソフトウェアのデザインも合わせて古い建物を守る提案をしている。このように余条件を設計し、自らのデザイン自体の幅を確保しようという野心的且つ開放的な試みと捉えられる。
「CCハウス」
吉村氏の最新のプロジェクトは最深の試みと言える。
クリエイティブ・コモンズを冠に据えた「CCハウス」は年末に東京のオリエアートギャラリーにて開催された企画展示を機に提出されたプロジェクト、あるいは新しい概念である。簡単に言えば、建築家が、建築設計料ではなく、建築図面を販売することを意識させるプロジェクトと言えるだろう。
そもそもクリエイティブ・コモンズとは創造的に共有しましょうということで、クリエイティブな作業を皆で共有することで高めていこうということだ。
「完全なオリジナルはなくて先人の知恵に乗っている」という氏の発言はやはり強い。
クリエイティブ・コモンズの概念自体は建築以外の分野、コンピュータプログラミングやウェブに流通しやすい音楽と相性が良いと一般的には捉えられているが、そもそも「建築雑誌が建築家のディテールを公開していることを鑑みると、建築の世界はそれに近いことが既に起こっている」と吉村氏。建築に携わる人皆で場を盛り上げていくという建築の側面にも合っているのだ。
具体的には、吉村氏(ひとまず吉村氏、理想的には出し手に建築家が参画していくべきであろう)が図面をディテールまで描いてそれを改変可能にして販売、共有していくものである。
日本の著作権法をみると、1900年に「本法は建築物に適用せず」という一文があり、音楽や写真や文章は守らている一方、建築物は守られていないのだという。氏はもし守られていたとしたらと街の写真も気軽に撮れなくなってしまうので、この一文を掲載したのはある意味では英断だいう認識を披露した。一方で今はインターネットがあるおかげで消費活動と創造活動の場が接近していて、誰でもパブリックに開示できる状況があるのに対して今の著作権法というのは遅れており、簡単に著作権法違反だらけという時代になってしまう。それに対応する概念がクリエイティブ・コモンズなのである。
今回のレクチャーの中で、氏はクリエイティビティの極北として建築家なしの建築、ヴァナキュラーな建築を挙げ、建築家がそこを目指すが一向に辿り着けないジレンマをどのように乗り越えるか、ということに意識を向けていると言える。言い換えれば、どのように他者を設計に取り込むかということである。
CCハウスにおいても、このような改変が何代も続いていくとヴァナキュラーに近づくという理想像も示してくれた。
このように圧倒的な密度と多様性で充満したレクチャー全体を振り返ると、最初の市場、規範、建築、法という四つの分類も、建築以外の他者を如何に見つけるか、という思考の整理だと捉えることができる。
吉村氏が凄まじくスマートなのは、その他者の見つけ方を、決して同一平面ではなく、深層にずらし社会により近いスタンスを保つことで作家性自体に揺さぶりをかけ、且つ建築それ自体の概念も他者として自らの設計に取り込むことで、四事象に整理した概念内の空間上を自由に行き来する術、即ちシステムを現象させる術を見つけている点であろう。
歴史を背負った正統な現在性の塊と言っていいかもしれない。
吉村さん、どうもありがとうございました。