高松丸亀商店街の事例 |
□丸亀商店街について
丸亀商店街では60年の定期借地権契約を設定することから始まった。
組合員数104名。
店舗数157店舗。
居住者の激減で街の疲弊している。
アーケードの総延長2.7km。
短期間で通行量右肩下がり。
基幹産業は400年間商業。
1988年、瀬戸大橋開通によって行政施設、商業が市街地に集まるコンパクトシティが崩壊した。物資の安定供給ができないことが固有性を担保していたが大橋開通により一気に大手資本流入し、古くから胡坐を書いていた市街地の商業を直撃したということである。
当時から役所は拡大政策、郊外開発を主な政策として、市の南部に大規模開発を行なっていたことも合わせて、バブル崩壊と同時に中心市街地の地価が暴落。これにより固定資産税収が七割減ることに。
さらに行政は市街化調整区域の全廃(←香川のみ)を推し進め、農地の宅地開発により税収を補填使用と試み、都市の拡大はさらに進行した。
そこに急速な高齢化と人口縮小が始まる。香川県全体で人口100万人を割り込むのにも関わらず、十二分に拡大してしまっている都市が此処に生まれた。
ちなみに郊外部の行政コストは中心部の5倍でコンパクトシテイへの回帰は必須である。
□商業について
現状を示すデータとして、売り場面積が伸びているが、売り上げ、従業員数、事業所は減っている。これは税金の県外流出を意味している。
つまり、固定資産税の発生しない安い敷地に大型商業施設が進出しているということである。ちなみにイオンは千葉に拠点があるので千葉に税金を払っている。
詳しく進出状況を見ていくと、市街地南方にまず夢タウン高松(延床14万㎡)が進出し大成功を収める。次はイオン高松(延床14万㎡)。南にイオン、夢タウンもさらに二店舗進出。こうして売り場面積は増えるが税収は県外に流出した。
現状で、改正中心市街地活性化法に対する批判は商店主、地権者への批判となっている。論理はこうだ。郊外大型店舗が悪い→それを許した行政が悪い→市民の六割は郊外商業施設で満足してる→税収は入らない→最終的には地権者自身の怠慢に問題がある。
□土地所有権と利用権の分離へ。
疲弊した中心市街地においては店舗入れ替えのシステム導入が急務である。しかし郊外大型店は地域に税金落とさない→でも市民は満足してる→商店街頑張らないから悪い。これまでたくさんイベントやってきたがどれも付け焼刃だった。得た結論は最終的な問題は土地問題に帰すということである。東日本大震災でも、用地確保ができず仮設住宅すら作れなかった。
また、居住人口が足りないことも問題だった。住民票ベースのデータはあてにならん(一軒ずつ調べたらたった75人)。
規制による整備は無理だから太陽政策に切り替える以外に選択肢はなく、土地の所有権と利用権の分離の提案に至った。
まず全国の再開発事例の失敗例をリサーチした。
◯典型的な失敗例
役所主導の再開発は運営ノウハウないのでディベロッパーに丸投げ→利益重視、竣工が目的→キーテナントの誘致→土下座外交→キーテナントは三年で撤収→一等地に空きビル→悪循環。
というようにして役所に丸投げではなく民間主導の再開発、身の丈にあった開発、大型店に頼らない開発に道が絞られてきた。
□丸亀商店街の運営
AからGまで七つの街区に分けてキャラ設定。
住宅整備し上層にマンション。
1500人新規居住を目安。
だが住宅整備だけでは無理なので生活都市機能の整備=テナントミックスを促進。
□テナントミックス
テナントミックスは、地権者が競合業種の参戦を反対するので基本的には難しい。ここで利用権の放棄が効いてくる。利用権を放棄することでテナント誘致に関して、地権者の声を一旦白紙化するが、土地所有権は保持したまま。
これによってテナントミックスの選定基準は生活者目線で決定できる。(ex診療所、子育て支援、市場、温浴施設)
居住者が増え、需要があれば勝手に供給が生まれるので商業のベースは成立する。
□民間主導型再開発事業
お役所仕事では限界がある。
従来の再開発は土地+建物で総事業費だったが、丸亀は土地は借りることでコストを削減している。だが、地権者は基本的には貸したくない(←借りる方に優位な借地権制度が日本にはあるので)。故に、定期借地権制度を導入するのである。
地権者の権利を保護し参加しやすい基盤整備を進めた。27名の地権者に対して、A街区の総事業費は70億(これは通常の1/3)。これに加えて国交省、経産省、の助成制度などをミックスさせ、地権者負担融資は二億六千万円のみとなった!
且つ固定資産税収は9倍になっている。投下された補助金に対する利回りは6%で、これは投資としての補助金を意味している。行政に投資をさせる意識をもたせ、増加した分の税金で返済していくイメージである。議会が手を出すと圧倒的に遅くなるので民間主導でなければならない。民間主導だが、助成金の制度上半公的な性格の会社が必要だったため、行政も最小限にではあるが関わっている。
ビルの売り上げ下がると配当が下がる、地権者も、まちづくり会社も、共同出資会社も等しくリスクを共有する仕組みを作った。
□何故合意形成できたのか
精度の高い事業スキームを作ったから。従前債務が地権者の根本の問題にあるのでその解決を提示した。
◯従前債務の問題
バブルで土地を担保にたくさん借りてはじけて債務超過→地権者は借金まみれ+大手資本の流入→廃業すると土地を競売にかけられる→廃業もできない→金利返済に追われ袋小路に。という従前債務の鎖を如何に切るかということ。
従前債務の返済に再開発事業の補償費を回し、デフォルトにした見返りに利用権を放棄させた。
□全員同意に拘った理由
補償費は法定に基づき鉄筋造はたくさん、木造はゼロで地権者によってばらつきがあるので意見割れを起こしやすい。意見割れ起こすとコミュニティが崩壊する。
→配当の按分率を作り、全員で共有した。
□中心市街地のこれからの役割
商店街は公共性に目覚める必要がある。
郊外への行政サービスは期待できないということを市民が察し、都心の回帰現象が自然と発生しているので丸亀商店街は駐車場の整備をしていない。車がなくても都心で暮らせる生活を求め特に高齢者が住居部に多数入居している。
60年の定期借地権だから60年後には壊されるが、市民の土地執着意識の減退も手伝ってこのスキームが成立している。
郊外だと車がなければ成立しない障害者も多数入居している。
→多機能が凝縮した地域としての中心市街地の価値づけが起こった。
□コンテンツ整備
◯食
世界のダウンタウンの成功事例は食から。LLP設立。食プロジェクト。一人暮らしのお年寄りが利用できるコミュニティレストラン、ケータリングサービスの整備。
◯医療
バブルで町医者がなくなった。自治医大と連携。過疎を相手にしてる自治医大の存続自体が問題になってる時、中心市街地を新たなフィールドにしようという意識。新たな医療設備にベッドは要らない、上に住宅あるから。コンパクトに回診できるのは医者に嬉しい。入院せずに上層部の自宅に帰る生活。東京に流出した人材が活躍できるステージを地方に。
◯駐車場の運営
→地元のお年寄りが運営。高齢者の雇用促進。
◯生産農家との連携
県内の農家のほとんどが兼業農家。地域内循環、生産農家と直接契約。高い安全基準。高い野菜の需要。
◯広場
面積を倍に。民有地の広場。公有道路だと全く使い物にならない広場になる。イベント。人は集まるが売れるものがなければ売り上げは伸びない。そこにやみくもに人を集めても無意味なので、イベントをやりたい人が自由に使える広場を整備、まちづくり会社がサポートする。年間206本のイベントを行なっている。駐車場の利益で「民間の」公共サービスの赤字を補填。
□大変だったこと
ここまで16年。権利調整に時間がかかったのではなく、実印は4年で揃った。残りの12年間は現行法との戦いだった。例えば道路を跨ぐブリッジは許可されないので特区を申請した。八メートルのブリッジをかけるのに三年かかった。
□最後に
地域のコミュニティが残っていて、精度の高い収支計画と全員同意があれば中心市街地は再生可能である。
□筆者感想
バブル後20年経った日本の地方の商店街において、素直に、客観的に、誠実に、現状を把握し、処方箋を与えるその仕方はこういう形に収斂していく他ないのかなと感じている。その分析や論理には舌を巻く部分が多く、最大多数の人が首を縦に振るだろう。
「デフレの正体」の著者・藻谷浩介さんや一般社団法人AIA代表理事・木下斉さんの理念にも近接しているように思われるが、基本的には地権者がリスクを皆共有して、自立経済を回す地盤をどう作るかに限る。その基盤の上に、アートや文化や食や福祉が成り立っていく。
丸亀商店街の事例は土地の所有権と利用権の分離+60年の定期借地権契約+居住回帰スキームを具体的な解決策として示してくれている。
藻谷浩介さんも著書で指摘されているが、高齢化によって生産人口が減ってることが日本の根本にある破綻原因で、内需拡大が至上命題なのであるらしい。
・高齢者から若年層へ金融資産の贈与
・女性の雇用進出
・観光政策
・商品のブランディング
を具体的な解決策として挙げている。
丸亀が成功したのも、間違いなく高齢者にフィットしたまちづくりが基盤にあるからである。
逆に言えば彼らが扱うのは年齢、人の数とお金、扱っているのは数字だけである。
高齢者のことを真剣に考えなければ最大多数の最大幸福を達成することは不可能である、ということが彼らから私が学んだことだ。
だが、果たして中心市街地は高齢者に占拠されるでっかい病院になる他ないのかなぁと考えると、いや待て、それは日本全体がそうなる他ないのかなぁと考えてしまって、どうしようもなくこの時代を若者として生きる僕はもやもやを抱えざるを得ないのであった。
客観的に、素直に、勤勉に、考えて導き出される結論が、一生懸命高齢者のことを考えて、彼らと小さな経済を回すほか無いのだって言われると、それは処方箋としては良薬かもしれないけれども、国を背負わされる若者には少々苦すぎる。でも、腐敗した政府やマスコミ以上に確実に、どうやら此処は高齢者の数が生産人口の数に比べてどんどん多くなっていく国らしい。
一方、僕をわくわくさせてくれるのは、数字の確認と達成ではなくて、創造や、建築や、同世代の友人であったりするのである。