過去を確かめ、現在を生き、未来を願う。 |
設計も打ち合わせもせず、とにかく旧友や家族とひたすら時間を過ごしている。
思えば、事務所を立ち上げてここまで、いや、設計を始めてからここまで、立ち止まること無く考えて続けてきた。
過去や、未来のことよりもただひたすらに現在と向き合ってきた。
現在を実感することだけで、僕はこの地を耕している。そうすることが自分にとって確からしい道筋のきっかけだと思うからだ。遠い過去の記憶も、まだ見ぬ未来も、目の前にいるあなたも、青く広がる空も、私達を囲う都市も、自分にとってどうしようもなく遠い存在で有り続けた。思考をやめない私の細胞の柔い一粒一粒は、ただひたすら確かな現在だけに焦点を合わせろと、今も指令を送っている。結果として、些細な思い出ややるべきことを僕は恐ろしい速度で忘れるし、未だ見ぬ未来に関する目標や展望を描こうとしてこなかった。それが私にも、周囲にも、「誠実な」対応だと信じて生きてきたからである。しかし、僕よりも過去の多くを覚えている友人に囲まれながら時間を過ごしていると、過去に起きたことの会話がほとんど成立しない。その度に、僕はいつも、いろいろなことを切り捨てて生きてきたんだと、あるいは私という存在の時間的連続性は他者によって担保されているんだと実感する。それが現在を生きるということだと思っているから尚更に。
幼いころ時間を共にした祖父も祖母も体調が思わしくないそうだ。体調というか、記憶も曖昧になっているらしい。
現在の医療では痴呆と判定されるらしいが、忘れることで現在を生きているんだと僕は解釈している。どうやら所謂介護が必要でヘルパーが週二回来てくれるとのことだ。彼らを支えるのは、子どもや、孫、ヘルパーや地域である。
あるいは、今市街地活性化の事業で子育て関連のプロジェクトを進めていて、子育てに携わる専門家や子育て真っ最中の母親にヒアリングをしていて、昨年は30主体以上の企業や団体、個人に会って話を聞いた。
一人では生きることができず言語を持たない赤ん坊もまた、きっと現在を必死に生きている。彼らを支えるのは、親や、祖父母、先生や地域である。
現在を生きることというのは、赤ん坊や、祖父母のように、誰かに支えられることなのだろうか。
ただ、私も現在を生きている。が、私は赤ん坊や、祖父母の現在の感じ方とはおそらく違う。私に出来て、赤ん坊や祖父母に出来ないことは何かを考える。
思考がぽっかりと空いたこの正月にそれを考える隙間が生まれて、その隙間に入り込んできて今この文章を書かせているのは、私が今まで避けて来た、過去や未来に寄り添うことを求める脳細胞からの大号令なのではないかと僕はこの文章を書きながら直観した。今まさにこの瞬間に直観した。目の前のあなたが私に影響を与え、私があなたに影響を与えるように、(他者によって担保された)過去の出来事が私に影響を与え、私が(他者によって担保された)過去を改変し、未来もまた同様に相互に影響を及ぼしうる。過去も、未来も、他者とのコミュニケーションと同様に如何に共有するか/しないかという地平では同一の存在として了解される。
即ち、私達の過去、即ち歴史や思い出を持つ友人や写真や建築物に触れ、昨日の私や私達と明日のそれらがあたかも連続しているかのように現在に証拠を残し、明日すべきことや、10年後、100年後を想定するその必要性を感じている。
例えば1ヶ月後。
卒業した浜松北高校の同窓会が今年3/1に行われる、今有志でその準備を進めていて、同窓会の準備はたくさんの思い出に触れることができる。大切な時間としたい。
例えば5年後。
403architecture [dajiba]のプロジェクトが大小問わず100個の渦として都市に発生すること。あるいは、マテリアルの流動の実践をより公共的/民主的に実装するためのマザーシップとなる大きな工房兼資材置き場をなんとか市街地周辺に用意したい。マテリアルの流動の成果をより開かれた形で都市に記憶させるような状況を作りたい。終わりなき建築態をめざす。
例えば20年後。私の夢。
社会問題そのものから生き延びるための相対化を学ぶ教育機関の設立。フィールドは、日本の浜松とブラジルのリオデジャネイロだ。資本主義における成熟から発生する日本の地方都市における社会問題をフィールドとする教育プログラムと、資本主義における爆発的な成長から発生する社会問題をフィールドとする教育プログラムを相互補完的に組み込み、双方から智彗を学ぶことができれば、資本主義を最大範囲で相対化できる教育環境を実現できるのではないかという私の夢をここに言葉にしておく。私の活動拠点の浜松は日系ブラジル人が多く、私の師匠であるFilipe Balestraはブラジル生まれでリオのファベーラに学校をセルフビルドで作った、こうしたコンテクストが結びつきそうな計画として。
例えば30年後、二組の祖父母と両親の、合計三つの土地と建物の管理を想定すること。人口が縮小する中で、どうやって管理の要らない土地をデザインするか。僕の実家のうち二つは郊外住宅地にあり、この二つは潜在自然植生の実験をしてみよう。一つは二俣城下に位置する町家形式の民家。歴史の詰まった二俣の地には引きつけられるし、出来れば改修し別荘としたい。長期的には、今拠点のある浜松の市街地と、郊外、山間部の関係性を自分の出自と照らし合わせて考えていくつもりだ。二俣の歴史にはもっと触れておきたい。日本舞踊の師範である祖母からは今のうちからその技能を少しでも学んでおきたい。
どうやら私の中で、大きな大きな転回が起こったようなのだ。
ともかく現在から、過去と未来へ、特に未来について、あくまでも現在を引きずったまま自分の思考を他者そのものへシフトさせたいと強く願う。