建築に宿る民主性 |

敷地に隣接する、昨年7月に稼働した養命酒製造(株)鶴ヶ島太陽光発電所を運営している同社が「地域貢献」の一環として建設したものだそうだ。
市のウェブサイトによると用途は「環境教育施設」とあり、「設計は、「鶴ヶ島・未来との対話プロジェクト2013」と題し、東洋大学の支援、パブリックミーティングにより市民参加型で設計し、建設は地元の共同企業体が担当しました。市では、「再生可能エネルギー」や「地球環境問題」の啓発事業に必要な備品、施設整備を実施しています。」とのことである。昨年4月から住民参加型の仕組みを導入した設計を続け、この春竣工を迎えた。
このプロジェクトにおいて、特徴的なのは、その設計プロセスであるといわれている。所謂住民参加型の設計過程を経て作られた建物であるが、その参加の仕組みが変わっているのだ。この設計過程の中で、住民が参加し意見を設計者に伝えるパブリックミーティングが合計5回行われたのだが、このパブリックミーティングで行われるのは、単なる意見交換ではなく、SDSからの複数の設計提案の開示と議論、それに対する市民投票である。
通常、建物の設計行為というものは、クライアントの意見が伝えられる打ち合わせと、それを形に反映する作業は事後的に別の時間/場所で行われるから、クライアントにとっては、意見がどのように形に反映されたのかを正確に汲み取るのは不可能だ。だが、この投票システムは、あらかじめ、複数の提案を用意した上で、どの提案が最も適切かを選ぶという仕組みであるため、そもそも形になっているものに要求を表象させる。もちろん、選ぶだけではなく、選んだ上でさらにどこが問題なのか、どこを変更すべきかといった議論とそれに対するフィードバックも用意されているが、根本的には、クライアントの要求が先にあるのではなく、形が先にあってそれをクライアントが選ぶという図式だ。であるから、根本的に、意見交換会をベースにしたこれまでの住民参加型の公共施設の設計プロセスとその性質を違えている点は重要だといえよう。
そして、この投票システムは一回きりの投票ではなく、5回繰り返し行われる。つまり、複数案の提示→投票→意見のフィードバック→複数案の提示を、繰り返すのである。
この繰り返しの中で、設計者である学生は、どの案のどの点が人気だったのかを得票数という定量的な評価で知ることが出来、住民の得票数によって示される「空気」を読みながら設計の変更をしていくのだ。
最終的な提案は、駅舎型、教会型、路地型の三案に絞られ、投票を経た上で、それらが統合されて、竣工した今の形態が生まれている。
今の形態を説明する前に敷地状況に触れておきたい。
敷地は、1961年から2006年まで「養命酒」の原料工場として稼働していた旧埼玉工場跡地の有効活用として、開設された太陽光発電所に隣接する場所であり、北東から南西に伸びていく隣接する道路を挟んで、あちら側には住宅地が、こちら側には太陽光パネル群が広がっているという状況だ。
今の形態の平面プランは「駅舎型」を踏襲したものと思われる。アルファベットのNを反転させたような平面計画で、反転Nの平行な二本の線にあたるヴォリュームには、トイレや監理事務室、設備機器などが収められ、反転Nの斜め線は「教会型」の天井の高い切り妻型のメインヴォリュームにあたる。太陽光パネルは南を向いていることもあって、このメインヴォリュームは太陽光パネルと同じ方向を、平行線にあたるサブヴォリュームは道路に対して垂直方向を向いている。そして、「N」の三本の線の交点がくっついたり、離れたりすることで、建築計画を成立させている。
防犯の関係上、エントランスは敷地から一度三角形の中庭を通り抜けて太陽光パネル側からアプローチする。サブヴォリュームへのアプローチも、中庭からではなく、一度外側へ回り込んでそれぞれ入室するような構成だ。道路側にあるNの交点を門で塞げば、敷地全体を締め切ることができるということだ。
構造は木造軸組で、メインヴォリュームの鋭角な切り妻屋根を支える形の崩れたXの架構の連続が上部に露出しているのが内部空間の大きな特徴であり空間に表情と緊張感を与えている。
素材はどれも簡素なもので、外装は釘止めフレキシブルボード、グレイ塗装の板張り、内部仕上げもほとんどがラワンやラーチの合板をそのまま見せている。窓もすべてアルミ引き違いサッシュである。
この場所はパブリックミーティングにも参加していた鶴ヶ島第二小学校区地域支え合い協議会が市と連携しながら運営されていくことになるようで、「環境教育施設」として小学生のための課外授業の場として、主に使われることが想定されているそうだ。願わくば、竣工を迎えたこの建物のマネジメントの部分でも同様の手法によって(例えばSDSで運営ブランディングを行うなど)、産学官+市民の連携が今後も継続されるのが望ましい。
以上が、この建物の概要である。
この建築の作られ方においては、産学官+市民という枠組みもあって、通常の例えば住宅設計よりも設計プロセスに関わる関係主体が非常に多い。多い上にその関わり方も多様である。且つ、通常設定する建築を作るための与条件もパブリックミーティングや施工者、企業、行政との打ち合わせによって流動的に変更されていったという。つまり何かを決めていく行為として設計があるとすれば、決めにくい、設計しづらい環境だったといえるはずだ。あるいは、一つの決定は用意に変わり得ることを前提とした決定の仕方だったということでもあろう。
その開かれた/移ろいやすい/柔らかな決定の連鎖が可能にしていたことは、どこからどこまでが設計主体かわからないような=どこからどこまでが誰による決定なのかわからないような、民主的な設計のあり方である。ただ、そうは言っても物理的、社会的に切断しなければ立ち上がらないのが建築物であるから、SDSをオーガナイズする藤村氏と工藤氏はいくつかのカバーリングを見せている。
その一つが、パブリックミーティング期間中の設計補佐(畑氏(藤村事務所出身)、木元氏(シーラカンス出身))と、実施設計契約を結ぶ藤村事務所のスタッフである武智氏のパブリックミーティングからの設計参加という、プロフェッショナルな設計・監理体制レイヤーの導入である。どんなに市民の意見が反映されようとも、どんなに学生が模型を提案しようとも、見積もり調整、ディテール設計、施工図チェック、職人との打ち合わせ、といった実務作業に関しては、設計におけるプロフェッションが必要だということである。パブリックミーティングから実施設計、設計監理という流れを彼らによってスムーズに連続させている。
オープンプロセスを標榜すると、クローズドな部分とオープンな部分の双方に批判が集中しやすい。このプロフェッションのレイヤーはしばしばブラックボックス=クローズドとして批判されるし(オープンと言いながら閉じてるじゃないか系)、オープンな部分に関していえばこの建築において、何故このような建ち方を選択したのかという批判もあり得る。しかし、クローズドなプロフェッションは今のコンピューターに代用するのは難しく、必要であるし、オープンにされている説明可能な与条件の整理から導き出される(例えば)配置計画に対する批判は、クライアントの与条件から導き出されたものと説明可能であるから、ほぼ無効といえる。
開かれた/移ろいやすい/柔らかな決定の連鎖の切断に対するもう一つの反応として挙げられることが、簡素な素材、簡素な接合部の処理、簡素なものの成り立ちが結果的に立ち上がっているという点である。これは上記したプロフェッションのレイヤーの存在とも関わっていることなのだが、例えば複雑で関係主体の多い決定の連続の結果を、一つ一つ(いちいち)形態に落とし込んでいったら、キリが無い上に、形態もどんどん複雑に(装飾的に)なっていくことは容易に想定される。
しかしこのプロジェクトにおいては、形態も、素材も、ディテールも、実現に近づくにつれて、逆に抽象(見た目ではなく概念として)されていく。ヴォリュームはシンプルな形態に、扱っている素材の種類は少なくなり、素材と素材のぶつかる部分をなるべく隠さないようにディテールを減らす。多様で流動的な与条件を簡素さによって乗り越えようとしているように見えた。
そして、結果として立ち上がるこの空間が持つ質は、これまでの藤村氏の作品の持つそれと比較すると(eコラボは純粋な藤村事務所の作品ではないが)ずいぶんと違うものとして私には感じられた。少し単純化すると、初期に建てられたBUILDING Kの素材選択はレディメイドなサイディングやフローリングによっているし、その後の一連の集合住宅や住宅の特に内部は、RC仕上げか白い空間という極めてミニマルな空間である。それらと比較すると今回の空間は、フレキシブルボードや合板等、所謂ホームセンターで購入できるような、簡素で比較的低コストな素材で作られているといえる。
当然ながら、求められる建築の用途やクライアントによる影響によって素材やディテールの選択が決められることが大いにあるので、一概に、今回の多様で開かれた設計が上記した簡素さにつながったといえるわけではないものの、私には、こうした誰にでも開かれた素材やディテールがつくり出す空間と、多様な主体によって開かれた設計との相性が非常に良いように感じられた。複雑な設計の流れが、簡素さに向っていくその様は、確かに「さわやか」である。
従って、総じて現代における民主的な建築だといえるというのが私のこの建築に対する感想である。あるいは、民主的であるからこそ、相対的に建築設計におけるプロフェッションの重要性(例えば契約に対する責任、例えばパネル割の設計、例えばアルミサッシュの高さ寸法の設定、例えばフレキシブルボードを止める釘のピッチ割とグリッドの設定、例えば高低差の処理、例えばスムーズな工程表の作成、例えば職人との創発的なディテール考案など)を再確認することができる、そう表現することも可能だろう。
SDSを工藤氏とともにオーガナイズした藤村氏は、超線形設計プロセス論の提示やRAJにおけるメディア活動、キュレーション活動、国土計画、と幅広い活動を展開している建築家である。東洋大学に着任以降は、鶴ヶ島という具体的な10万人規模の自治体をパートナーとして、それまで培ってきた「建築」と「動員」のための経験が統合されてきたように思う。きっと藤村氏は「建築」と「動員」を駆使して、民主主義の達成を目指しているのだろう。そういう強いメッセージを感じた。