2008年 12月 06日
石上純也について |
先日、石上純也氏のレクチャーが武蔵工業大学であり、友人に誘われたので行ってきた。
過去のプロジェクトをパワーポイントを使用し、それにペンツールで書き込んで説明していく。
客観的な言葉と主観的な言葉を非常に上手く使い分けているという印象。
どのプロジェクトも最初は客観的な言葉で成立条件を説明し、いつの間にか「曖昧な」とか「建築や植物や家具を等価に扱い、」といった主観的な言葉に移行している。その主観的な言葉の一つ一つが魅力的に感じられる自分のミーハー具合に少し落ち込んだ。
それ以外にも特に構造のことを説明してくれる時間が多かった。彼は信じられない手間を構造にかけている。構造とは合理性(=客観性)を担保するものであり、構造の話もまた彼の客観性を強化する要素となり得ていた。構造は建築家としての石上を担保する重要なファクターである。
KAITの説明の時、非常に興味深い話をしていた。
「最初はあの柱はグリッドに乗っていてそれを徐々に崩していったのだけど、次第にランダムに近づいていった。それでも完全なランダムにするのは非常に勇気が必要であった。」と。
主観的に決定を下すということを突き詰めた結果あの作品が出来たのだ。
勇気と覚悟の塊のような「建築家」だなと思った。
過去のプロジェクトをパワーポイントを使用し、それにペンツールで書き込んで説明していく。
客観的な言葉と主観的な言葉を非常に上手く使い分けているという印象。
どのプロジェクトも最初は客観的な言葉で成立条件を説明し、いつの間にか「曖昧な」とか「建築や植物や家具を等価に扱い、」といった主観的な言葉に移行している。その主観的な言葉の一つ一つが魅力的に感じられる自分のミーハー具合に少し落ち込んだ。
それ以外にも特に構造のことを説明してくれる時間が多かった。彼は信じられない手間を構造にかけている。構造とは合理性(=客観性)を担保するものであり、構造の話もまた彼の客観性を強化する要素となり得ていた。構造は建築家としての石上を担保する重要なファクターである。
KAITの説明の時、非常に興味深い話をしていた。
「最初はあの柱はグリッドに乗っていてそれを徐々に崩していったのだけど、次第にランダムに近づいていった。それでも完全なランダムにするのは非常に勇気が必要であった。」と。
主観的に決定を下すということを突き詰めた結果あの作品が出来たのだ。
勇気と覚悟の塊のような「建築家」だなと思った。
by tsujitakuma
| 2008-12-06 21:36
| architect