2009年 01月 07日
芸術、篠原一男、岡本太郎 |
篠原一男の「住宅論」と岡本太郎の「今日の芸術」を立て続けに読んだ。
篠原は「住宅は芸術だ」と言い、岡本は「芸術はうまくあってはならない」と主張する。
芸術という言葉をキーワードに両著は読むことができるので「芸術」について記そう。
「住宅論」は、1960年~1967年にかけて建築学会や雑誌に寄稿された論文集であり、著者の言葉を引用すると「当時の建築の主流の考えや動向に立ち向かっていた」姿勢を垣間見ることができる。
篠原の主張は、掻い摘んで言うなら、
「住宅は芸術だ」
「住宅は広ければ広いほど良い」
「都市計画は無視」
「施主の要求は無視」
「敷地条件は無視」
「美しくあれ」
「住宅は工場で作られるべきだ」(大量生産ではなく質の担保のため)
というもので、現代における建築家は究極的に私性で勝負するほかない、という結論が導かれる。すべての主張はいかに自分の思い通りにものを作る状況を生み出すかというところへ収束する。それゆえ彼の作品は私性が表出しやすい空間に特化し、その空間は私性を最大限に発揮しうつくしくあるために抽象化されていった。
彼こそ全うな建築家といえよう。なによりも社会に対するそのスタンスが。建築を武器に社会とどう接続していくかを考えた結果私性=空間=芸術性で勝負するという結論に至ったはずである。
対して自分でいろいろ決めたくない私は建築家から芸術性を除いた建築家を目指しているということになる。
個人で思想を体現することが建築家の存在意義とするなら「建築家から芸術性を除いた建築家」の存在意義は何か。つまりは組織設計やゼネコンとどう違うのかを私は考えなければならない。
今のスタンスを続けるのであれば。
さて、岡本太郎である。
岡本の主張もかなり一貫している。
芸術はシステムの一部分となってしまった現代人の生きる喜びを取り戻すものとして、誰もが絵を描くべきだと主張している。現代は誰もが絵を描ける時代になったと。
新しい価値観を提示するのが芸術であり、慣習や伝統から生まれる既成概念=その時代のシステムから抜け出した、本当の意味での「個人」が生むものこそ本当の芸術であるとも述べており、既成概念でしか芸術や様々な事象を認識できない現代人への痛烈な批判ともなっている。
下手に描けと彼は言う。下手な方がいいと彼は言う。
「うまい」とか「きれい」とか言う言葉は既成概念から生まれる相対的な意味を持つ言葉であるから、「うまい」絵や「きれいな」絵はその時代のシステムから抜け出せていないことになるのでだめらしい。例えば、平安時代のきれいな女性が現代でもきれいと評価されるかといえばそうではない。
「住宅は芸術である」という篠原には賛成できないが、
「芸術で既成概念をぶち壊せ」という岡本には大いに賛成できる。
私は、「芸術性を除いた建築」を使って既成概念を壊すという芸術を成立させたい。
つまり、どうやら既成概念を使って既成概念を壊したいらしい。
篠原は「住宅は芸術だ」と言い、岡本は「芸術はうまくあってはならない」と主張する。
芸術という言葉をキーワードに両著は読むことができるので「芸術」について記そう。
「住宅論」は、1960年~1967年にかけて建築学会や雑誌に寄稿された論文集であり、著者の言葉を引用すると「当時の建築の主流の考えや動向に立ち向かっていた」姿勢を垣間見ることができる。
篠原の主張は、掻い摘んで言うなら、
「住宅は芸術だ」
「住宅は広ければ広いほど良い」
「都市計画は無視」
「施主の要求は無視」
「敷地条件は無視」
「美しくあれ」
「住宅は工場で作られるべきだ」(大量生産ではなく質の担保のため)
というもので、現代における建築家は究極的に私性で勝負するほかない、という結論が導かれる。すべての主張はいかに自分の思い通りにものを作る状況を生み出すかというところへ収束する。それゆえ彼の作品は私性が表出しやすい空間に特化し、その空間は私性を最大限に発揮しうつくしくあるために抽象化されていった。
彼こそ全うな建築家といえよう。なによりも社会に対するそのスタンスが。建築を武器に社会とどう接続していくかを考えた結果私性=空間=芸術性で勝負するという結論に至ったはずである。
対して自分でいろいろ決めたくない私は建築家から芸術性を除いた建築家を目指しているということになる。
個人で思想を体現することが建築家の存在意義とするなら「建築家から芸術性を除いた建築家」の存在意義は何か。つまりは組織設計やゼネコンとどう違うのかを私は考えなければならない。
今のスタンスを続けるのであれば。
さて、岡本太郎である。
岡本の主張もかなり一貫している。
芸術はシステムの一部分となってしまった現代人の生きる喜びを取り戻すものとして、誰もが絵を描くべきだと主張している。現代は誰もが絵を描ける時代になったと。
新しい価値観を提示するのが芸術であり、慣習や伝統から生まれる既成概念=その時代のシステムから抜け出した、本当の意味での「個人」が生むものこそ本当の芸術であるとも述べており、既成概念でしか芸術や様々な事象を認識できない現代人への痛烈な批判ともなっている。
下手に描けと彼は言う。下手な方がいいと彼は言う。
「うまい」とか「きれい」とか言う言葉は既成概念から生まれる相対的な意味を持つ言葉であるから、「うまい」絵や「きれいな」絵はその時代のシステムから抜け出せていないことになるのでだめらしい。例えば、平安時代のきれいな女性が現代でもきれいと評価されるかといえばそうではない。
「住宅は芸術である」という篠原には賛成できないが、
「芸術で既成概念をぶち壊せ」という岡本には大いに賛成できる。
私は、「芸術性を除いた建築」を使って既成概念を壊すという芸術を成立させたい。
つまり、どうやら既成概念を使って既成概念を壊したいらしい。
by tsujitakuma
| 2009-01-07 03:48
| book