2008年 10月 25日
西沢立衛の建築について |
幸いにも学生と教授の関係にある西沢立衛氏について思った事を書こうかなと。
氏の建築は極めて図式的で明快であるが、彼の建築には図式だけでは表現することができないある必然性があるように感じられる。その必然性は実際にその建築を体験することで初めて感じ得る類いのものである。

彼の設計プロセスにおいて特徴的なものはそのスタディの多さであり、建築を取り巻く様々な要素を条件として取り込みながら、繰り返し検討を行う。彼はその過程において、配置図も、図式も、空間も、気持ちよさも、すべて等価に、且つ極めて意図的に扱っている。
この点において、他の日本人建築家と比較すると彼の建築における特徴が鮮明に浮かび上がってくる。 伊東豊雄、藤本壮介、青木淳らは外的要因による意思表示により自らの意図を、意図の届かない位置までドライブさせていく。そのため彼等の建築からは、様々な条件から生まれてくるというより、全く関係のない所から生まれてくるような絶対的な手法(建築としての強さ)が感じられ(ex,台中のemerging grid、情緒障害児短期治療施設の不安定な秩序、青森のトレンチとホワイトキューブ) 、意図のドライブは意図の存在を誇張し、建築に絶対的な強さを与えている。
対して西沢氏は、意図を突き詰めることで、意図を不感なものにし、建築を透明にしている。
明快さと必然性が生み出すこの透明感こそが西沢氏の建築の特徴であり、本質である。
氏の建築は極めて図式的で明快であるが、彼の建築には図式だけでは表現することができないある必然性があるように感じられる。その必然性は実際にその建築を体験することで初めて感じ得る類いのものである。

彼の設計プロセスにおいて特徴的なものはそのスタディの多さであり、建築を取り巻く様々な要素を条件として取り込みながら、繰り返し検討を行う。彼はその過程において、配置図も、図式も、空間も、気持ちよさも、すべて等価に、且つ極めて意図的に扱っている。
この点において、他の日本人建築家と比較すると彼の建築における特徴が鮮明に浮かび上がってくる。 伊東豊雄、藤本壮介、青木淳らは外的要因による意思表示により自らの意図を、意図の届かない位置までドライブさせていく。そのため彼等の建築からは、様々な条件から生まれてくるというより、全く関係のない所から生まれてくるような絶対的な手法(建築としての強さ)が感じられ(ex,台中のemerging grid、情緒障害児短期治療施設の不安定な秩序、青森のトレンチとホワイトキューブ) 、意図のドライブは意図の存在を誇張し、建築に絶対的な強さを与えている。
対して西沢氏は、意図を突き詰めることで、意図を不感なものにし、建築を透明にしている。
明快さと必然性が生み出すこの透明感こそが西沢氏の建築の特徴であり、本質である。
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by tsujitakuma
| 2008-10-25 06:05
| architect